退屈な毎日を送っていると、
「なにか面白いことがないかな」
そんな考えが頭を支配するようになる。
「なにか面白いこと」
自分は受け身なくせに、
世界に変化を求めるのだ。
面白くなければ夢中になれることを探せばいい。
見つからなければ、
夢中になれることを探すことに夢中になればいい。
それなのに、
大して行動もしないで、
「なにか面白いことはないかな」
それでは誰の人生を生きているのかわからない。
自分が可愛いからって、
傷つかない場所から高みの見物、
「面白いこと」
メディアの考えるその多くはゲスなこと、
それを評論家を気取ってとりあえず批評、
そうやって自分の価値を確認する。
もっとやるべきことってあるんじゃないかな。
人の人生よりも自分の人生を心配すればいいのに、
それと向き合うことが怖いから、
自分より劣る誰かを見て安心する。
「自分はこれよりはマシだな」
そうやって下ばかり見て安心する。
だから世の中はゲスな話題で溢れかえる。
「自分はルールを守っている」
そうじゃなくて、
守ることくらいしかできないんでしょ。
ルールを破って何かを変える度胸なんてない。
そのくせに、
善良な市民を気取って、
ルールからはみ出した人を、
人とも思わないような方法で叩き潰す。
自分の価値を確かめるために、
みんなが自分の人生に夢中になれればいいのに、
そうすればゲスな情報に価値なんてなくなる。
情報の価値は受け取る側が決めるもの、
世界にとって必要な情報が、
もっと幅を利かせるようになればいいのに、