心が繋がっていると思っても、
なかなかそれを信じることができないから、
それを確かめるための術が必要、
それが「言葉」ってやつ、
心が繋がっていなければ、
よそよそしいだとか、
事務的だとか、
目が合わないだとか、
態度を見れば一発でわかる。
そういう場合は距離を置けばいい。
だけれども、
「心が繋がっているかもしれない」
そういう場合には、
もしかしたらって思っても、
傷つくことが怖いから、
「繋がっている」という確信を持てないと、
なかなか先には進めないのだ。
どんなに相手を思っていたって、
相手から思われているように思えたって、
一点の曇りがあるだけで疑いの目で見てしまう。
友達だって、
恋人だって、
夫婦だってそう。
だから言葉が必要なのだ。
言葉を伝えると責任が生まれる。
責任が生まれると覚悟が生まれる。
覚悟をすることで気持ちが深まる。
立場や環境、
それに力関係、
そんなものは置いておけばいい。
「気持ちを言葉にすること」
始まりは全部そこから、
曖昧なまま始まった関係だって、
どこかで言葉にしないと先には進まない。
こじれてしまった関係を修復するためにだって、
言葉を伝えないことにはすれ違うばかり、
いっしょにいたいならば、
「いっしょにいたい」って、
感謝の気持ちがあれば、
「ありがとう」って、
気持ちが高まったならば、
それをそのまま真っ直ぐに「好き」って、
真面目に生きているほどに、
言葉は重みを増してしまうから、
喉につっかえて、
もう出るってところまで来ても、
なかなか飛び出してはくれない。
そういう時は、
眠れないで散々準備してきたとしても、
前置きなんて差し置いて、
ワンフレーズだけ伝えればいい。
気持ちのこもった一言だけ、
真っ直ぐに伝えればいい。
それできっと歯車は動き出す。
「好き」
その一言に込められた力って、
想像以上に大きいもの、
真っ直ぐに気持ちを伝えることって、
想像以上に相手の心に響くもの、
打算なんかなく、
利害なんか関係なく、
ただ好きだから「好き」って伝える。
それって素敵なこと、
最後にそういう気持ちを経験して、
お断りをされてから2ヶ月が経った。
そういう人ともう一度巡り会いたいな。
「好き」
今はまだ自分のことで精一杯だけど、
それってきっと生きる活力になるはずだから、