村上春樹氏の長編小説、
理由もわからずに突然、妻が消えてしまった。
そして他に男がいると別れを切り出される。
主人公は自分の「欠陥」と向き合うことになる。
物語の流れは『騎士団長殺し』と同じ、
設定も似ているところが多く、
後年に書かれた『騎士団長殺し』は、
この作品のセルフオマージュかと思うほど、
ところが一見似ているように見えても、
テーマは大きく違う。
『騎士団長殺し』は「確かに存在するけれども見えない働き」
「イデア」と呼ばれるもの、
そういうものを騎士団長の姿で描いている。
それに対して、
「自身の暴力性と向き合うということ」
『ねじまき鳥クロニクル』はそういうテーマ、
どんなに穏やかで落ち着いた人でも、
内には暴力性を孕んでいる。
それが外に漏れないようにうまくコントロールしているだけ、
過酷な環境に身をおいたり、
大切なものを損なってしまったり、
信じていたものがフッと消えてしまったり、
どこかでタガが外れてしまうと、
途端に隠していたものが顔を出す。
何も繕わない裸の自分、
そういうものと向き合わなければならない。
その作業の中で自身の暴力性を認識して受け入れる。
作中のシーン、
井戸の中での信仰体験、
ほんの数分差し込む光に命を燃やし尽くされてしまった。
その後の人生は抜け殻のようなもの、
その表現はあまりにも儚くて、
それでいて人生というものをうまく表現している。
誰しも命を燃やすべき時と場所があるのかもしれない。
人は環境によって、
鬼にも仏にもなれる。
だから命の使い方を自分で決めてあげないといけない。
人は簡単に染まってしまう。
そうしたほうが生きやすいから、
何も考えないで、
作業のように時を過ごしたほうが、
きっと楽に生きられる。
だけれどもそういう生き方に疑問を持って生きたい。
周りがそうだからという理由だけで動きたくはない。
だから色々とこじらせる。
その末に心が折れて発狂する恐れもある。
そんな哲学者は無数にいる。
環境に染まる生き方、
信念を貫く生き方、
正義に殉じることが善で、
迎合することが悪なのか。
もはや何が正しいのかもわからない。
自分で決めなければならない。
どうやって生きるのか。
どこで誰とどうやって命を使うのか。
色んなものを見て、
色んな経験を積んで、
それを見つけることが人生の目的なのかもしれない。