『凪のお暇』
少し前に終わってしまったけれど、
色々と考えさせられたドラマ、
社会ってどんなところでも、
少なからず同調圧力というものがある。
それぞれの立場があって、
それぞれのキャラクターがあって、
そこから少しでもはみ出ると浮いてしまう。
「どうしたの?
そんな事言うタイプじゃなかったでしょ」
とでも言いたげに、
空気がさっと変わる瞬間がある。
役割を演じているだけだから、
セリフを間違えると「違うでしょ」って茶々が入るのだ。
まるで台本があるみたい。
「予定調和」
収まるところに収まる。
そこからはみ出さないことに躍起になって、
自分を押し殺しては自分を嫌いになって、
そういう自分に満足しているならばいい。
「うまく周りとやれているぞ、自分」
そこに喜びを感じる時期だってあるだろう。
だけれども、
そういうのって長くは続かない。
そしてどこかで誰かにしわ寄せが来ている。
多くの場合は弱い立場の人に、
それが苦しくて耐えられなくて逃げ出したいならば、
手遅れになる前に逃げ出せばいい。
色んなものを失ってからでは、
失ったものを取り戻すまでに時間がかかってしまう。
「本当は何をしたいの?」
その問いに向き合わなければ、
やりたいことはどんどん遠ざかる。
気がつかないうちに距離は開く一方、
生き方に疑問がある場合、
大抵は望んでいることと逆の方向に進んでいるのだ。
だから、
まずは立ち止まってみればいい。
そして次に進む方向を決めればいい。
辛くて苦しいときほど焦らずに、
一つ一つの選択を丁寧にするのだ。
できそうなところから手を付ければいい。
それでいて自分を追い込まないようにして、
着実に一歩ずつ進めばいい。
それがきっと「お暇」ってやつ、
凪は最後に自分で生きる選択をした。
誰かに寄り掛かるほうがよっぽど楽なのに、
「まだまだ一人でやらなければならないことがある」
きっとそういうことだろう。
私もきっと、
まだ一人でやらなければならないことがある。
だからいつだって奇跡的に相手と一緒になれないのだ。
そう思っていればいい。
今はまだお暇が必要、
なんだか最近は寝心地が良くて、
目覚めもすっきりとしてきた。
もう少しだけ、
もうちょっとだけ、
このまま寝てしまおう。
「こんなところで寝ていると風邪を引くよ」
そうやって、
素敵な誰かが肩を叩いて起こしてくれるまで、
しばしお暇いただきます。