本来はあってはならないことだ。
だけれども、
道徳よりも憎しみが勝ると、
そんなことはお構いなしに感情は爆発する。
それほど苦しめられたのだ。
「目の前からいなくなればいい」
それがどんな形だったとしても、
冷静に考えてみると、
そういう精神状態ってまともじゃない。
それがまともじゃないことにも気が付かないと、
もはや手遅れなのかもしれない。
真面目に生きてきたのに許せない。
この苦しみはあいつのせい、だった。
正義を証明するために、
誰かの死を喜ぶ。
そんな証明の仕方に価値はあるのかな。
私が人生で一番嫌いになった人とは、
「二度と関わりたくない」
今でもそう思っている。
だけれども、
それを願ってもその先の相手のこと、
そこまで想像力を働かせてはいない。
もしも亡くなったとしたら、
私の感情はどのように動くだろう。
表には出さなくても、
心のなかでは喜ぶのか。
それとも悼むことができるのか。
想像もつかない。
モラルの問題なのか。
それを超えた問題なのか。
人と人との間には色々な感情が交錯する。
何が正しくて何が間違っているのか。
その線引きはとても難しそうだ。
「命を奪うことは悪」
そう定義したとして、
奪わなくても死を悼めないことは悪なのか。
連日、様々な死が報道されているけれど、
それが当たり前になりすぎて、
感覚が麻痺しているのか。
報道された死が、
救いようのない凶悪殺人犯のものだったら、
悼まなくても良いものなのか。
毎日、命が失われている。
いちいち思いを馳せることなど敵わないくらいに、
そしてその死の周りには、
色んな感情がある。
少し考えさせられる出来事があった。