関わりが深ければ深いほど、
離れるのに痛みを伴う。
体の一部になってしまうから、
密結合とでもいうのかな。
だからって、
色んなものと自分を切り離して、
「自分とは関係ありません」って、
そういう生き方をしていたら、
虚しさばかりを感じてしまう。
痛みを伴うことになっても、
人は何かと繋がらないと生きてはいけないのだ。
それを失いたくないから必死になって、
それを奪われようとするから怒りが生まれて、
「自分らしさ」を守るために人は生きているのかな。
心を動かし続けるのだ。
そうして喜びも悲しみも、
痛みや怒りさえも自分の一部として受け入れる。
「生きる覚悟」って、
きっとそういうもの、
何かがあるたびに振り回されて、
心を揺さぶられて、
痛みを感じて、
そういう経験ばかりしていると、
心を動かすことを恐れて、
心が動かないように努めるようになる。
「生きてきた証」
そういうものって心を動かすから見えてくるはずなのにね。
頑張っている人を嘲笑ったりだとか、
「どうせ無理」って決めつけたりだとか、
どこか冷ややかな目で見て、
無駄な労力は使わないってかっこつけて、
冷笑主義ってやつ、
熱くならないことで、
諦めてしまうことで、
自分を守ろうとする。
周りと自分を切り離して、
心が動かないように無関心を決め込む。
世の中に期待などしていないから、
疎結合ってやつ、
そうやって心を過保護にしても、
心の虚しさは埋まってはくれないよ。
色んなものと繋がって、
それを手放すたびに痛みを感じて、
人生ってその繰り返し、
先回りばかりして、
損をしないようにって、
苦しい思いをしないようにって、
リスクを避けて、
コスパばかりを気にして、
動かない理由ばかりを探して、
そんな人生に何が残るのだろう。
痛みを感じて、苦労して、
もがきながら一日一日を積み重ねていく。
いいじゃないか。
生きてるって感じがして、
穏やかに生活できることが幸せ、
だけれどもそれって移ろいやすいもの、
心を強くしてあげて、
穏やかでも幸せ、
大変でも幸せ、
いつだって幸せ、
そう思えるようになれたならば、
人生の課題の大半はクリアしたようなものなのかな。
いや、そんなに甘くはないな。
人生には思いもよらぬことがたくさん起こる。
その度にそれと向き合って、
日々を積み重ねていくしかないのかな。
クリアなんてできない無理ゲーなのかもしれないな。
それでも最後は悔いなく逝く。
生きるって大変なこと、