「人類が柵を作るようになった時に文明が生まれた」
ジャン・ジャック・ルソーの言葉、
これは誰の所有物でどこに権利がある。
そうやってルールを作ることで、
安心を得ると同時に不自由を手にする。
法に守られるためには、
法を守らなければならない。
本当に自由な世界に放り出されたら、
きっと途方に暮れてしまうだろう。
「だから人は自由なんて求めていない。
私だってそう。
限度はあるけれどもね」
「やることがない」
忙しいよりも、
人は必要とされないことに耐えられない。
だから忙しいアピールをするし、
有能であるかのように見せたがる。
何かに縛られていたいのだ。
仕事だったり家庭だったり、
何かに身を委ねて、
何かに所属していることに安心する。
そこに役割があることに、
自由ってことは、
自分の存在意義を自分で見出す強さが必要、
誰から認められなくても、
何に所属していなくても、
自分で自分の価値を信じられる。
そういう強さが必要、
だから自由じゃなくてもいい。
否、自由過ぎなくてもいい。
年をとって経験を積み重ねると、
何でもかんでも自分でコントロールしようとして、
何かに身を委ねられなくなってくる。
どうしょうもないことはどうしようもないのだ。
そのことを受け入れることも強さ、
器を大きくするためには、
意見が合わない人をも味方にしていく強さが必要なのかな。
自由過ぎても大きく育たない。
不自由な中でも輝くことができる。
そういうものって必要、
両手が塞がっていたものだから、
今はいろいろなものを手放す時期なのかな。
そうすることで持ち方を変えて、
もう少したくさんのものを持てるようになる。
無理のできない体になってしまったから、
多くの物を抱えるには持ち方を工夫しないといけない。
まだまだやれる。
できないことは増えるけれど、
返ってやりたいことは明確になる。
そうやってみんな年をとっていくのかな。