「死」があるから「生」を強く実感できる。
使い古されたテーマだけれども、
人生における永遠のテーマなのだろう。
命が永遠に続くならば、
生きるための努力などする必要がない。
ずっと続くのだから、
何も焦る必要はない。
好きなことだけをしていればいい。
だけれども人生には終わりがある。
だから「生きた証を残したい」
そうやって人は努力する。
理想の人生を掲げたり、
理想の相手を求めたり、
子孫に夢を託したり、
「生きた証」がほしいのだ。
この世に生まれてきた理由が、
だからそれぞれの道を歩んで、
「自分」というものを確立したがる。
他の誰でもない。
唯一無二の価値、
それを示すために努力する。
挫折を繰り返しながら、
方向転換を繰り返しながら、
その過程で掴み取った何かを大事にして、
「希望を失わないで」って、
そう自分に言い聞かせて、
「前に進んでいる実感」なんて、
そんな不確かな物を頼りにしながら、
死ぬ覚悟をしつつ必死に生きる。
人生に理由がほしいから、
自分の価値を信じたいから、
それを求めて必死に生きる。
そういうものなのかな。
それならば手っ取り早い。
難しいことを考える必要なんてないのだ。
周りの人の幸せのために行動すればいい。
そうすれば周りの感謝を通して、
自分の価値を信じてあげることができる。
傷ついて、
もう前に進めなくて、
自分の価値を信じられなくなったならば、
隣りにいる、目の前にいる、
その人のために行動してみればいい。
その結果、
図らずに感謝の連鎖が広がればいい。
「ありがとう」って、
「あなたの存在を認めますよ」ってこと、
そうやって、
利害関係なんて除いて、
互いが互いを認め合うことができれば、
きっと争いなんてなくなるのだろう。
「自分の価値を信じられない」
そう感じるならばまずは周りに認めてもらうこと、
「ありがとう」をたくさんあげて、
「ありがとう」をたくさんもらう。
そこからもう一度、自分を見つめ直してみる。
そうすればきっと、
いくら理想が高くたって、
少しは自分を認めてあげられるはず、
そうやって、
少しずつ「これでいいんだ」って、
自分を認めて生きていければいい。
きっとそこから、
この世界にいてもいい理由を見つけることができるのだから、
ドラマ『同期のサクラ』
「私にしかできないことをしたい」
それってそういうことなのかな。