人の生態は哺乳類よりも昆虫に近い。
そんな話を聞いたことがあったな。
いくら飲み込んでも決して満たされない、
そうやって次々に人を食らう満員電車、
「飽食」の象徴みたい。
「これ以上は入らないよ」って誰が見てもわかるのに、
1分1秒を争って駆り立てられるように躍起になる。
電車に食われることに、
何かに食われた心と体は、
どこへ行ってしまったのだろう。
「自然との調和」
それに取り組んでいますよって、
そうアピールしているみたいに、
申し訳ない程度に生えた木々、
それを取り囲むように、
見渡す限りの人工物、
その人工物に至る道筋は、
まるでレールが敷かれているみたいだ。
「そこ以外は歩いてはいけませんよ」って、
どこかにそんな看板でも立っているのかな。
きれいに列を作って、
レールの上を歩きながら、
人工物に吸い込まれていく人たち、
「これが生きるってこと」
生活をするために、
ある意味では生活を捨てているのかな。
考える気力すら失って、
足が勝手に動いている。
ただただお決まりの時間にお決まりのルートを辿って、
お決まりの作業をして、
だいたいお決まりの時間になるとそれを切り上げて、
またお決まりのルートを辿って帰る。
一日のほとんどはお決まりなのだ。
不自然なものに囲まれることが当たり前になっているから、
不自然な心の変化にも気が付かないのかな。
そうやって手遅れになってしまう。
いくら周りのことで忙しいからって、
自分のことは自分で面倒見てあげないと、
周りは面倒見てくれないよ。
同じように電車に詰め込まれて、
同じように列を作って、
同じ人工物で長い時間を共有しても、
多くの人とは心の距離が縮まることはない。
「誰かと繋がりたい」
そういう欲求はみんなが持っているはずなのにね。
リアルヒューマン、
文字や写真だけではなくて、
直接のぬくもり、
そういうものに対する欲求はきっと、
どこまで行っても人生から切り離すことはできない。
毎日これだけ多くの人と触れ合って生きているのに、
関わるのはほんの少しだけ、
なんとも奇妙な生態を持つ生き物だ。
世の中が便利になるほどに、
どこかの機能が麻痺してしまうから、
欲求がいびつに歪んでしまう。
「人とのふれあい」
そういうものにもっと正直に生きられたらなぁ。
傷つくことを恐れずに信じることができたらなぁ。
私はもはや手遅れかもしれないけれども、
そういう未来になればいいと思う。
今日はお決まりから、
少しだけ外れてみることにするかな。