ふとしたきっかけで手にとってみたけれど、
とても示唆に富んだ面白い作品だった。
男には妻がいる。
だけれども関係は冷え切っている。
教師という仕事もある。
だけれども人間関係は希薄だ。
日常に飽き飽きしていて、
唯一の楽しみは趣味の昆虫採集、
その唯一の趣味に興じるために、
誰にも行き場を伝えずに出かけた先で、
思わぬ事件に巻き込まれる。
新種の昆虫を求めてたどり着いた先で、
砂にまみれた辺境地に幽閉されることになる。
そこであてがわれた同居人は、
やつれながらも「女」を感じさせる妙齢の女性、
自由を諦めながらも生命力に溢れている。
砂嵐が吹きすさぶ土地、
逃げられないように外から監視されている。
村が砂に埋れないように、
雪かきならぬ砂かきが日常作業になっている。
周りを気にする必要もないので、
一糸まとわぬ姿でそれに取り組む女の姿に、
関係が冷え切った妻とは違う「女」を感じて、
罪悪感を感じながらも関係を持つようになる。
退屈に思われた辺境地での生活、
ところがもとの生活に嫌気が差していたものだから、
自然とそれを受け入れるようになる男、
次第に女と家族同然の生活をするようになる。
ささやかな生活の中に喜びを見出して、
逃げ出す術を見つけても、
そこに居着くようになる。
男の行政上の立場は、
「失踪」から「死亡」へと変わる。
そうして幕を閉じる物語、
結局、人というものは「晴耕雨読」に満たされる。
そんなテーマ、
ハンターxハンターのキメラアント編で最後に読まれた詩を思い出す。
冷え切った社会関係よりも、
ただ必要とされることで満たされる。
どんなに立場があっても居場所がない。
そういう人はたくさんいる。
人は必要とされないことを恐れるから、
立場を守ろうと必死になる。
その結果として冷え切った関係を手に入れるのだ。
なんとも皮肉なもの、
必要とされる役割がある。
必要としてくれる異性がいる。
黙々と体を動かして、
人としての営みをしながら時を重ねる。
むしろそれが自然なのかもしれない。
不自然なものに囲まれて、
不自然な人間関係をいくつも結んで、
その一つ一つに右往左往して、
人の幸せって、
もっとシンプルなのだろう。
必要とされる。
だから満たされる。
きっとそういうもの、
利害関係でも良い。
たまらなく必要とされる。
それも魅力的な異性から、
それも自分以外には救うことはできない。
とても支配的な関係、
相手を支配したい気持ち、
そういうものはわからないでもない。
きっとそれだけで、
満たされてしまうのだろうな。
優位に立たされているように思うだけで、
うまくコントロールされているだけなのだけれども、
男をうまくコントロールするには、
自尊心をくすぐってあげるだけでいい。
なんともお手軽なものだ。
貧しくても役割があって、
必要としてくれる人がいて、
しかもそれが魅力的な異性で、
なんだか羨ましく思う。
行き場のない人達に行き場を与える事業、
そういうのをビジネスモデルにしたら儲かるんじゃないかな。
立場や収入ではない。
家族って関係も移ろいやすいもの、
幸せって難しい。