その日はそんな一日だった。
女子大の前を通り、
入試を受ける女子高生を横目に公園へと向かう。
休日なのにご苦労なことで、
「試験を受ける」
誰かに試される機会は増えたけれども、
カジュアルな資格試験を除いて、
そのような機会には久しく臨んでいないな。
彼女達からしたら、
この日は特別な日、
一大イベントなのだろう。
門の外で電話をかけている。
おそらくは支えてくれた「家族」に、
公園に入ると、
肌寒さを感じながらも、
嬉々として体を動かす子供たちの姿から、
「無邪気さ」のカケラを頂戴する。
親子のスキンシップ、
愛情をたくさん注がれて、
世界を疑うことなく生きている。
それって当たり前のようで、
とても素敵なこと、
図書館に着く。
最近手を出したロシア文学から一冊を選び、
亜麻色のショートカットが映える乙女の隣でページをめくる。
少しばかり時を重ねると、
乙女が席を立つ、
それをきっかけに、
なんだかコーヒーを飲みたくなり、
併設のカフェへと向かう。
一杯500円のちょっとした贅沢か。
窓際の席について注文を済ます。
ふと窓の外を覗くと、
ピクニックシートの上で、
父と子が戯れる姿を微笑ましく見守る母、
「家族のカタチ」
そういうものを目の当たりにして、
すぐさま差し出された、
熱いコーヒーに口をつけながら、
愛しい人の唇を思い浮かべる。
二度と重ねることはないであろうその唇を、
「家族のカタチ」
私の未来にそういうものは訪れるのかな。
そんなことが頭を過ぎると、
少し冷ましたコーヒーを一気に飲み干す。
会計を済まして、
借りたロシア文学を小脇に抱えながら、
窓の外に並ぶ「家族のカタチ」を横目に、
また日常へと戻っていく。
スーパーで買い物をして、
帰宅をしたら部屋の掃除、
録画して置いたままにしていた、
『万引き家族』のことを思い出す。
それを見て、
「家族のカタチ」
図らずもまたそれに想いを馳せる。
何かを暗示しているのかな。
なんだか「家族」がテーマの一日、
血のつながりよりも心のつながり、
もちろんそれが合致すれば、
自然なのかもしれないけれど、
同じ是枝作品の『そして父になる』では、
倫理的に「血のつながり」を選択する。
だけれども割り切れない。
親も子供も、
「家族のカタチ」
その多様性はますます進むだろう。
いずれにしても、
「誰かと心が繋がっている」
そう思えるだけで世界に居場所が生まれる。
きっとそういうもの、
物憂げな女の子を写して、
問題提起のように締めくくるラスト、
タルコフスキーの『ストーカー』を思い出した。
そうやってすべての人に居場所が生まれたらいいのにな。
帰るべき処がある。
それだけで人は追い詰められなくて済む。
それを忘れないで生きたい。
なんだか穏やかだけれども刺激的な日、
示唆に富んだ一日だった。
「王蟲、森にお帰り!
この先はおまえの世界じゃないのよ!
ねぇ、いい子だから!」
なんだか、姫姉さまから、
そう言われているような気がした。