私は若くて綺麗な女性のことが、
好きで嫌いだ。
期待する反面、
「相手にされてなどいない」
自分の利害のために愛想良くしているだけ、
そういう現実が突き刺さる。
彼女たちの多くは、
自分に需要があることを知っている。
だからそれを社会で生きるための武器にして、
男を手玉に取るのだ。
「なんともお美しいことで」
傷つく経験を重ねてきたものだから、
私の心はそんなアイロニーに支配されている。
思考の偏り、
「認知バイアス」というやつ、
人は「嫌い」と判断すると、
その対象の「嫌い」にばかり目が向くようになる。
自己防衛反応が働くから、
「好き」は「嫌い」には勝てない。
そうやって自分の価値観を作り上げるのだ。
楽しかった思い出は、
すべて憎しみの炎で焼き尽くす。
「嫌いなやつ」って自分で自分を洗脳する。
関わりたくないから、
避けるようになる。
そうなると会わない時間が「憎しみ」を作り出す。
もう二度と会わない関係ならばいい。
時が解決してくれるはずだから、
「どうでもいい」
心からそう思っている相手ならばいい。
会わない時間に相手のことなんて考えないから、
だけれども、
会わなければならない関係で、
「どうでもいい」と思えない相手ならば、
自分の心を戒めなければならない。
「憎くて仕方がない」
気が付かない速度で心は蝕まれてしまうから、
気がついたときには手遅れ、
そうなりかねない。
会って話してみれば、
多くの場合は「それほど憎むこともない」
きっとそう思う。
だけれども避ければ避けるほど、
会わない時間が憎しみを育むことになる。
どこかでけじめをつけなければならない。
完全に関係を断つか、
許すか。
もしくは先延ばしにして人ではなくなるか。
その選択を迫られる。
随分と長いこと先延ばしに来てきたけれど、
憎しみには時効なんてないみたい。
どうやら自分で解決するしかないようだ。
痴情のもつれから命を落とす、
そんな事件が最近もあったけれど、
人ってこうやっておかしくなっていくのだな。
そんなことをしてしまったら、
憎しみの連鎖に巻き込まれて、
もっと苦しむことになるのは目に見えているのに、
憎むことでしか自分を保てない。
ずっとそうやって苦しみ続ければいい。
「坊やだからさ」
赤い彗星さん、
憎しみにとらわれて、
人類の可能性を信じられなかったあなたも、
「坊や」なのかもしれません。
人の心って強くて弱い。
憎しみを糧にして生きるのと、
それを糧にしないで抜け殻になるの、
どっちが人として正しい選択なのかな。