心があるようなふりをしているだけ

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「共感」

「同情」

「同苦」


人のことを自分のことのように思う力、

シンパシーってやつ、


「人の気持ちがわからない」


そう思う事が多いのであれば、

経験が足りないもしくは経験したことを自分の中に積み上げられない、

そういう生き方をしてきたのかもしれない。


そもそも人の気持ちなんてわからない。


だけれども、

わかっているふりをしてやり過ごすことはできる。


知識の積み重ね、

それを糧にして生きるのだ。


こういう時はこう振る舞えばいいだとか、

こう言われたらこう言えばいいだとか、


人はそうやって、

「わかったふり」を身につける。

社会生活を営むためのスキルとして、


そうやって生きている人って、

きっと社会にはたくさんいるんじゃないかな。


むしろ多数派なのかもしれない。


もう一度書くけれども、

「人の気持ちなんてわからない」


そういうのに「発達障害」だなんて、

名前をつけるからややこしくなる。


自分の経験を投影して、

同じような気持ちを引き出しから引きずり出して、

相手の気持ちを想像しているに過ぎない。


本当に全部わかってしまったらとても生きづらい。

気が狂ってしまうだろう。


私はもともと人の気持ちに鈍感なタイプだと思う。


それが色々と経験して、

「弱さ」というものに向き合わざるを得なくて、

少しは分かるようになった。


メンタルをやってしまったり、

病気で下手したら死ぬと言われたり、

奇跡的にうまくいかない恋愛たちに傷つけられたり、


そういうものを糧にして、

人間的な魅力は育まれるのかな。


人の心がわからなくたって、

何も問題はない。


苦労した分だけ自分が磨かれる。

そこから逃げずに向き合いさえすれば、

わからなくたって寄り添うことができる。


好きと嫌い。

その間にある無数のグレーな色たち、


「二人の気持ち」


白と黒ならばわかりやすいけれど、

無数のグレーたちから二人が選び取る色、

その濃淡は完全に重なることはないのかもしれない。


わかり合っているようでわかり合ってはいない。


だけれども歩み寄るために、

お互いのことを思って「想像し合う」


その作業を繰り返すことで、

少しずつ「大切な人」って、

そう思えるようになるのかな。


最初からいい人に見えたって、

はじめはそう見えるだけ、

そういうスキルを発動しているのだ。


相手のことを「想像する」

それが相手を「大切に思う」

そのための第一歩、


「心」って、

そこからつながるものなのかな。