目に見える魅力がある。
容姿やら、
年収やら、
職業やら、
目に見えない魅力がある。
性格やら、
雰囲気やら、
相性やら、
男も女も、
目に見える魅力にばかりこだわっている。
それが手っ取り早く相手を評価できるから、
コスパが求められるようになった時代、
時間は貴重な資源、
そういう考えに偏って、
相手を探すことにすらコスパを求めるようになる。
便利になればなるほど、
心の距離は離れる一方だ。
顔を合わせたこともない。
声を聞いたこともない。
知っているのは、
文字のやり取りから得た情報と、
カタログスペックだけ、
それが入り口なものだから、
本当に素敵な人を取り逃しているんじゃないかな。
恋をするために恋するところから始まって、
最後は結婚するために結婚して、
「彼氏いるの?」
「彼女いるの?」
「結婚してるの?」
「子供はいるの?」
「旦那さんの職業は?」
「奥さんの年齢は?」
結局は人って、
自分のカタログスペックを上げるために、
そのために経験を積みたがるのかな。
「それが普通だから」
「人からよく見られたいから」
「余り物だと思われたくないから」
私が女性に求める条件だって、
結局は自分を飾るためのものなのかな。
幸せってなんだろう。
幸せって損をしないことなのかな。
幸せって人より優れていることなのかな。
「カタログスペック」
ほどほどにアプローチを受けるくらいだから、
私のそれはきっと悪くはないのだろう。
だけれどもきっと、
それを手放したら、
多くの女性からは見向きもされない。
少なくとも画面越しの出会いでは、
大切な人のぬくもりや、
大切な人と重ねる時間や、
大切な人との間に授かる宝物、
そういうのって、
カタログスペックなしには手に入らないものなのかな。
人間の本質ってなんだろう。
婚活をすればするほどわからなくなる。
やり取りしているこの人は、
私の何を求めてやり取りをしているのだろう。
「優しくて、仕事熱心で、話を聞いてくれるところ」
そういうところが素敵だと思っていました。
少し前に会った女性からは、
最後にそういうことを言われたけれど、
それって本当に私のことなのかな。
ある程度場数を踏んでいれば、
そう見せることくらい難しくはないんじゃないかな。
「誰にでも優しい人ってのはね。
裏を返せば他人に興味のない人なんだよ」
誰かがそう言っていたな。
なんだか自分がわからなくなる。
欠落感を埋めるために、
相手を探しているだけなのかな。
条件さえ良ければ、別に誰でもいいのだ。
クズみたい。
嫌いなクソ女と同じ、
私もクソ男なのだな。