職業やら、
肩書やら、
個性、
人はそういう物によって認識され、
他者を認識する。
ペルソナを被ったり、
キャラ付けをしたり、
道化のように振る舞うことで、
「生きやすい」環境を手に入れる。
ラベルの拡張、
新たな自分の発見とでも言うべきか、
「自分探し」だとか、
「何者かになりたい」だとか、
そうやっていろいろなラベルを手に入れることに躍起になる。
「起業した人」だとか、
「ブログをしている人」だとか、
「一人で海外旅行をした人」だとか、
「アイデンティティ」
自分のそれを自分が一番信じられないから、
たくさんのラベルを集めて安心する。
だけれども、
あまりにもたくさんのラベルを手に入れてしまうと、
それの取捨選択にばかり時間をかけて、
結局は心が疲弊してしまう。
いくらラベルを手に入れても、
足りないものばかりに目が向くものだから、
新たなラベルを求めてもがき苦しむ。
世界が近くなりすぎたから、
上を見ればきりがないのにね。
私のラベルは、
「30代童貞こじらせ男」
そこそこインパクトのあるものなのだろうけど、
早くアップグレードしたいと思っている。
「30代独身こじらせ男」
「30代結婚生活こじらせ夫」
「30代子育てこじらせパパ」
ラベルのインパクトはどんどん薄れていく。
だけれどもなんだか充実していそう。
人から見たら価値の低いラベルでも、
自分からすれば価値の高いもの、
そういうものってたくさんある。
人からどう見られるかばかり気にしても、
仕方がないんじゃないかな。
たくさんのラベルを集めて、
それを切り貼りして、
周りの目ばかりを気にして、
いくらそんな作業に時間を費やしても、
「自分らしさ」なんてものは見つからない。
人の好みに合わせて、
それを演じ分けているだけだから、
その作業に没頭するほどそこから抜け出せなくなる。
人はかけた時間や労力に固執する生き物、
過去に囚われるのだ。
苦労して手に入れたものを、
きれいに手放す強さがほしい。
所詮、最後はそうしなければならないのだから、