「ありがとう」
自然と口をつくようにその言葉が出るようになった。
だけれども自然になればなるほどに、
その言葉に気持ちがこもらなくなる。
本当に感謝しているのかな。
カタチだけじゃないのかな。
言葉を自分を飾るための道具にしていないかな。
どう振る舞えばうまく関係を築けるか。
経験を積めば積むほどに、
そういうことばかりうまくなって、
その作業が当たり前のようになっていくけれど、
気持ちがこもっていなければ、
それはただのテクニック、
「ありがとう」
「本当にありがとう」
今まで蔑ろにしていたくせに、
急に媚びるように態度を変える人、
そういう人が周りにいるならば気をつけたほうが良い。
きっと何かしらの意図があるはずだから、
カタチだけの言葉に騙されてはいけない。
いくら良い人に見えたって、
良い言葉を使っていたって、
心のうちまではわからない。
「人を道具のように見てしまう」
そういうことって生きていればどこかで必ずあるけれど、
それに葛藤しながら生きていない人は、
詰まるところ自分かわいさに平気で人を切り捨てる。
自分の立場のため、
自分の環境のため、
自分の将来のため、
結局は人を利用しているのだ。
心のこもった言葉、
それはもしかしたら聞きたくないような、
言われたくないような、
きつい言葉かもしれない。
だけれども、
そこに心がこもっているかどうか、
それを見定められるようにはなりたいな。
人は自分に都合のいいことを聞き、
都合の良い人と付き合い、
都合のいいことばかりをかき集める。
そうやって自分の存在意義を肯定する。
存在意義を失うくらいなら悪魔にだって魂を売るのだ。
「時よ止まれ 汝は美しい」
最後の最後にそう思える人生って、
一生のうちに自分の存在意義を打ち立てた先にあるのかな。
何のために生まれて
何をして生きるのか、
答えられないなんてそんなのは嫌だ。
心から笑って、
心から悲しんで、
心の底から出た言葉を紡いで、
今を生きる。
誰かから与えてもらうものではない。
その中で自分の存在意義って見出だせるものなのかな。