少し前に流行ったトマ・ピケティ、
「労働賃金の成長率よりも投資で生まれる利益のそれが大きい」
経済は成長する。
だから資産を持つ人にお金が集まり続ける。
一方で資産を持たない人は相対的に貧困に向かい続ける。
格差は広がる一方だ。
そういう主張、
そもそもルールを決める側は決まって、
決められる側と比較して富裕層だ。
だからそうなることはある意味では当たり前、
本来はそうならないために政治があるはずだが、
それだけではない。
貧富の格差もそうだけれども、
人の価値観だって二極化が進んでいる。
「情報の取捨選択」
簡単に情報が手に入る時代だから、
どのような情報にアクセスするも個人の自由、
善悪の判断基準はともかくとして、
「善く生きたい」と志している人は、
自然と善い価値観に触れる機会が増える。
逆もまた然り、
個人に自由が与えられれば与えられるほどに、
どんどん二極化が進むのだ。
だけれどもそれは悪いことばかりではない。
そこから新たな発想が生まれることもある。
「多様性を認められないこと」
そこに病理がある。
偏った価値観に縛られてしまうと、
人に危害を加えるような人は確かにいるけれど、
それはきっとほんの一部の話、
多くの「変わっている人」は無害のはず、
だけれどもセンセーショナルな事件ばかりが目立つから、
「普通じゃないと怖い」とそうなる。
個性を伸ばすような教育が先行して、
異文化で育った外国人が増えて、
これから先は「普通」というものが今よりも曖昧になるだろう。
そういう中で自分も個性的に輝くこと、
誰に遠慮するでもなく生きたいように生きること、
その先で道の交差した誰かと、
一緒になることができればこれほど素敵なことはない。
「相手」の価値観を理解しようと務めること、
そして「自分」を蔑ろにしないこと、
それさえ忘れなければいい。
生き方って色々あるのだから、