クリスマスという山を登りきった。
やっとだ。
例年と比べると今年はだいぶ高い山だった。
「恋人と過ごす日」などではない。
イエス・キリストの誕生日だ。
そんなに日に何を祝って体を重ねるのか。
結局は寂しさを埋めたいだけ、
ここぞとばかりに期限を設けて相手を作る。
アプローチのきっかけに過ぎないのだ。
もはや「文化」なのだろう。
人は孤独な生き物だから、
人肌に触れる機会がないと、
自分の存在価値を信じることが出来ないのだ。
多分に漏れず私もそう。
ここぞとばかりにアプローチ、
あまりにも寂しかったものだから、
アプリで女性とのやり取りをして過ごした。
もちろん相手もクリぼっち、
接客業の女性は定休日で「無駄に休み」らしい。
元気なことで女子会を開くとのこと、
同性だとしても人肌に触れたいのだろう。
その気持ちは痛いほどわかる。
そんな寂しさを埋めるためのやり取りを続けていると、
急に表示される「いいね」の文字、
少し年上で落ち着いた雰囲気、
プロフィールからは芸術的な気品が漂っている。
読書が好きだというので、
少しそこを突っ込んでみると、
かなり本格的に好きなようだ。
そういう女性ってあまり接点がなかったから、
「いいな」って思った。
「明るくて元気で自由気まま」
そういう女性にばかり惹かれてきたものだから、
その後の苦労は絶えなかった。
しっとり落ち着いた雰囲気、
結局はそういうところに落ち着くのかな。
男は単純だから、
結局は容姿が入り口としては最も大事なファクターなのだ。
「男」ではなく「私」か。
何度か写真詐欺にあっているから、
会うまではわからないけれども、
写真は「素敵」と思うのに十分な美しさ、
まだやり取りを始めたばかり、
どうなるかわからないけれど、
少しは人生に彩りが加わったのかな。
灰色だけの心に加わった、
「赤」と「緑」の彩り、
クリぼっちの寂しさを紛らすところから始まる出会い、
そういうのって少しだけドラマチックだ。
心が寒くて凍死する直前に、
遠くにかすかに見える灯火を見つけた気がする。
時期が時期だけに自分にそう言い聞かす。
クリスマスってやつ、
そのために必要だったのかな。
子供の頃は楽しみだったはずなのに、
いつからか嫌いになったクリスマス、
また少しだけ好きになれたかもしれない。
2019年の冬、