立場だとか、
キャラクターだとか、
人は自分を客観的に見ているものだから、
理性を働かせて自分自身をセーブする。
それも大事なこと、
全ての人が思ったことを口に出してしまったら、
世界はみんな滝沢カレンさんになってしまう。
あの人はとても不器用なのだろう。
思ったことが口をついて出てしまう。
それを取り繕うために言葉を重ねるから、
だからおかしな言葉が生まれる。
それがあの美貌と相まって、
不思議なキャラクターを生み出した。
話を戻そう。
人は自分の立場を守るために、
周りとうまくやっていくために、
「本音」を隠して生活する。
それの得手、不得手はあるけれども、
多くの場合はその積み重ねにより、
技術は向上する。
社会で生きるために必要なものだから、
誰もが「本音」を隠すプロフェッショナル、
手練れになればなるほど、
自分の要求を通すために、
「本音」と「建前」を使い分けるのだ。
そのうちにテクニックを使っていることすら忘れて、
周りを自分の思い通りに動かしたくなる。
そして「察しろよ」って、
相手にまでその価値観を押し付けるようになる。
「察することができない相手が悪い」
自分の不誠実さを棚に上げて、
そういう世界を作り出す。
そういう世界の住人になったならば最後、
死ぬまで腹の探り合い。
出世争いや、
同性間のマウンティング、
家庭の主導権争い、
そういう生き方しかできなくなる。
自分を醜くしてまで、
人より優位に立とうとしなくたっていいんじゃないかな。
動かそうと思えば思うほど、
人の心は思うように動いてはくれないよ。
相手だってプロフェッショナルなのだ。
そういう魂胆は見抜かれている。
醜いものに惹かれる人などかなりの少数派、
どんどん人は離れていく。
だから大事なことは、
腹を割って「本音」で向き合える人を、
どれだけ多く持てるかなんじゃないかな。
こちらから「信頼」を差し出さなければ、
相手は「信用」などしてはくれない。
ありのままの自分で勝負する。
そういう強さを身につけないと、
必要以上にストレスが溜まってしまう。
気持ちをそのまま表現する機会を増やさないといけない。
思いの丈を吐き出す機会を、
だから敢えて言おう。
声高らかに私の欲望を、
私は、
「愛する人と愛のあるSEXがしたい!!!」
今まで直接的な表現は避けてきたけれど、
そんなことを気にしても仕方がない。
したいものはしたいのだ。
それを叶えられる年になるといいな。