「本当にすげーなって思う人たち」
私にはそういう尊敬する先輩がたくさんいる。
その人たちに共通することがある。
「自分の言葉で話している」
どこからか借りてきたような言葉を並べた原稿ではない。
自分の言葉で話しているということ、
私は言葉の力を信じている。
そして言葉に宿る「覚悟」を見逃したくないと思っている。
「上辺だけの覚悟」
そういうものはいくらでもある。
劇場型の人間というのは、
そういうものを発信する自分に酔っているのだ。
そしてそれを自分の「価値」にすり替える。
「人からよく見られたい」
そういうことを目的としているうちは、
「個」から脱却できていないということ、
「自分」という枠からはみ出ることなく、
小さな器で終わってしまう。
真の「人間性」というのは、
見栄やプライドを乗り越えた先にある。
「個」から「全」への昇華、
古今東西、まともな宗教で世界の平和を願わないものはない。
たとえそれが名目だとしても、
多くの人は自分のことで精一杯だから、
家族や友人、だいたいそこまで、
それよりも外まではなかなか目が向かない。
だけれども、
精神的な意味で目指すべきものって、
「自分を含めた世界」にあるのかもしれない。
簡単なことではないけれど、
それを目指すか目指さないかで人生は大きく変わる。
「人からよく見られたい」
私はまだまだそういう功名心に縛られている。
常識的な範囲では必要かもしれないけれど、
本当に魅力的な人ってそういうことにこだわらないんじゃないかな。
だけれども人が自然と集まってくる。
そういうもの、
「自分を見失う」とはよく言ったものだ。
人の目ばかりを気にしているうちに、
「自分の言葉」を殺してしまう。
自分で自分の個性を殺してしまう。
それって精神的な自殺なんじゃないのかな。
ドラマ『同期のサクラ』
「どんなにつらい思いをしていても、
自分の言葉で話せないことのほうがもっと辛い」
自分らしく生きよう。
必要以上に人の目など気にすることなく、
なんだかそう思った。