私は2度ほど思い当たる。
一度目は19のとき、
二度目は30になって少ししたとき、
なんとなくだけれども、
もう一度くらいはそういうことがある気がする。
一度目は、
「自分の可能性を信じること」
二度目は、
「手放すこと」
それを学んだ。
三度目はどうなるのだろう。
この変化で私のこれから先の価値観は、
大きくその方向性を決する気がする。
予感は予感に過ぎないのかもしれない。
傷つくことになるかもしれない。
これから先の人生を諦めてしまうほどに、
良い方向に変わるといいな。
考えても仕方がないのだ。
それに至るまでは、
地道に生きるしかない。
病気か。
恋愛か。
あるいは別の何かか。
「このことだったのか」
それはその時になってみないとわからない。
あるいはその時にもわからないのかもしれない。
ずっと後になってから気がつくのかも、
とにかく今できることは、
自分を嫌いになるような行動をしないということ、
その積み重ねの中で起こる変化ならば、
きっと違和感なく受け入れることができるはず、
「もう若くはないな」
そう思っていたって、
人生は続いていく。
これから先はもっと若くはなくなっていく。
自分を嫌いにならないように生きること、
生きている実感を積み重ねること、
見えない何かに知らないうちに誘導されて、
実感もなく無為に時を重ねていく。
そんな人生は嫌だ。
どんなにそれが素晴らしいものであっても、
自分の生き方を委ねてはならない。
最後に責任を取るのは、
いつだって自分なのだから、
悔いのないように、
自分の人生を生きよう。
「それまでの価値観が一変してしまうような経験」
それを待ち望みながら、
それに期待はしない。
そうすれば自然と地道に生きていける。
漠然とした道標があるだけで、
人は前に進めるのだ。
ある曲の歌詞から、
「人は希望なしでは生きれないから、
みんな心のどこかで来世を信じている」