とある観光地でのこと、
無心で走っているかのようなランナーが、
ふと顔を上げると立ち止まって、
まるでそれが当たり前の行為のように、
スマホを取り出してシャッターを切る。
そんな姿を見た。
角を曲がった先で、
急に飛び出した城の優雅さに、
思わず心を奪われての行動だろう。
これから城の方に走っていくんじゃないの?
そうしたら近くでいくらでも写真なんて撮れるのに、
冷静に考えたらそうだ。
だけれども、
ランナーにとっては、
その「瞬間」が大事なのだ。
揺り動く感情、
理屈ではなく反応、
脳が瞬時に体にカメラを取り出す指令を与えた。
そして体は夢中でシャッターを切る。
「カシャ」
シャッター音を聞くと我に帰る。
そしてそのまま何事もなかったかのように、
続きを走り出す。
なんとも美しい姿だと思った。
シャッターを切るって、
「感情を閉じ込める行為」
アルバムはこれまでの歴史、
開くと当時の感情を呼び起こしてくれる、
まるでドラえもんのポケットから飛び出した、
魔法の道具みたい。
「写真は自分だけのもの」
いくら拡散して「いいね」をもらったところで、
シャッターを切る瞬間の感情は自分だけのもの、
その瞬間の高揚感、
それを大事にしたい。
ゴシップだってそうなのかもしれない。
シャッターを切る瞬間、
不正を暴いた瞬間や誰かの秘密を知った、
その瞬間の高揚感、
思わず夢中でシャッターを切る。
得も言えぬものなのだろう。
今は拡散のハードルが低いものだから、
高揚感も冷めやらぬうちに、
簡単に人の不幸を食い物にしてしまうこともある。
「功名心」って怖い。
一度立ち止まって考えてみなければならない。
「シャッターを切る」ことと、
「拡散する」ことはまるで別の行為、
全く違う目的のもの、
「誰かに認められること」
そこにしか自分の価値を見出せない、
そんな貧しい心の持ち主って、
自分で自分を認めてあげることが苦手なんじゃないかな。
だから人の評価が自分の評価、
誰かに認めてもらえて初めて、
自分を認めてあげられる。
「誰かに認められること」
写真の本当の価値はそこにはないよ。
シャッターを押す瞬間、
その時の高揚感よりも価値のあるものはない。
「写真は自分だけのもの」
ふと目にしたランナーが教えてくれたこと、
そのことはいつまでも忘れずにいたい。