何を守りたいのかもわからない政治、
自己評価を上げることに必死ないいわけ、
自分の不安を解消するために人を道具のように使う女、
この世界を構成するものの中で、
本当に必要なものってどれだけあるのだろう。
もちろんそれは、
「私」という単焦点から見た「世界」のこと、
それぞれに「世界」があって、
それぞれに価値観がある。
だから私の「世界」には不要でも、
誰かの「世界」には必要なもの、
そういうものは、
世の中にはたくさんあるのかな。
合理主義の弱点は、
排他的であること、
基準は「自分」なのだ。
「自分」が所属する組織だったり、
「自分」の利害関係だったり、
「自分」から見た相手の利害関係だったり、
「あなたにとってもこっちのほうがいいでしょ」
そうやって言いくるめようとするけれど、
そんなことはわからない。
あえて非効率な手段をとって、
残業代を稼いで年収を上げているのかもしれない。
人間関係を悪化させることで、
自身を追い込んで成長を促しているのかもしれない。
世間から「対応が遅い」と叩かれても、
それによって性癖を満たすドМなのかもしれない。
それぞれに「世界」があって、
それぞれに価値観がある。
所詮はそういうこと、
「自分」「自分」「自分」
なんとも身勝手な世界、
誰の目から見える世界も、
そう大きくは変わらないのかな。
誰の世界だって、
自分が主役なのかな。
私はおそらく合理主義者だ。
だから「不誠実さ」が許せない。
だけれども、
それは私から見た合理主義であって、
すべての人に当てはまるわけではない。
一見すると非合理に見えることを好む人もいるのだ。
だから相性の問題、
「陳腐に見えてしまう」
それだってきっとそう。
相性の問題だ。
ルールに縛られてばかりで、
自分らしさを発揮できないなんて嫌だ。
私は強くそう思う。
だけれども、
「ルールを順守すること」に命を懸ける人種もいる。
こればっかりは相性ってやつ、
私の世界から見て、
陳腐ではない魅力的な女性、
そして相手から見ても、
私が魅力的で陳腐に映らない。
そう感じてくれる人、
そういう人と出会えるのって、
針の穴に糸を通すようなものなのかな。
「自分の世界を固めすぎている」
何もかもが陳腐に見えるって、
そういうことなのかな。
何でもないことに笑い転げる。
この前遊んだ未就学の姪のそんな姿に感じる魅力、
自分の殻に閉じこもっていないで、
私も同じように笑い転げたいのかな。
何でもないことに、
思い切り笑い転げたいのかな。