命の方が大事、
健康が大事、
それはごもっともだけれども、
別にそういう主張をしたいわけではない。
政府が一斉休校を要請したことで、
表題のような批判があるらしい。
だけれどもこれってもともとあったことでしょ。
「教育格差」
もう何十年も前から、
塾に通って勉強するか否か。
自主的に予習復習をするか否か。
そうやって格差は広がってきた。
すべての子がそうではないけれど、
塾で勉強している子は、
はっきり言って学校の授業なんて舐めてるよ。
別の勉強をしていたり、
睡眠時間に充てていたり、
先生をからかうことに躍起になっていたり、
少なくとも20年位前からそうだったはず、
私も舐めたガキだったクチだ。
教師の知人は割と多いけれど、
先生もそういうことにおもねっているよ。
成績を上げるよりも、
生徒の関心を惹くこと、
話を聞いていると、
今の先生たちにとっては、
そっちのほうがよほど重要みたいだ。
現場を見ているわけじゃないから、
あまり断定的なことを言うと怒られてしまうけれど、
「学校教育」の在り方って変わってきているんじゃないのかな。
Twitterから、
こういう素敵な先生もいるみたい。
「友達親子」
今の親子ってそういう関係性が主流なんでしょ。
先生だってそっちに寄ってきているはず、
中学教師の知り合いが言っていたけれど、
教室に入るたびに何か一発ネタを要求されるらしい。
それによって特に男子の対応が変わってくるそうだ。
堅物の先生は、
生徒から相手にしてもらえない。
もちろん私立の進学校は別かもしれないけれど、
「塾で勉強して学校は遊ぶところ」
是非は別として、
生徒たちの間でもそういう認識ができているんじゃないかな。
社会だって格差を受容しつつある。
だから社会の関心が、
「教育機会の喪失」よりも、
「育児負担の増加」に向くのは、
当たり前なのかもしれない。
「日本大丈夫か?」って、
そういう警鐘を鳴らしたい気持ちはわかる。
私だってほぼ毎日思っているよ。
だけれども、
時代がそれを求めて、
そう動いているのだから仕方がない。
「学歴」よりも「創造性」
今はまだ走りだけれども、
これから先はそうなっていくんじゃないかな。
だから、
「授業ができない」=「教育機会の喪失」ではない。
お勉強は確かに大事、
学歴はある程度の年齢までは、
割と使える「保険」にはなるから、
だけれどもいくら高学歴でも、
社会からあぶれる人はいくらでもいる時代、
30も過ぎてくると、
「学歴」や「肩書」よりも、
「経験」や「人脈」のほうが100倍大事、
曲がりなりにも10年以上社会人してきて、
おじさんはそう思うよ。
友達たくさん作って、
好きな人と付き合ったりフラれたり、
たくさん傷ついて楽しんで、
行きたいところにたくさん行って、
いろんな経験をして、
その時にしかできないことを思いきり楽しんで、
こうなってしまったからには、
もちろん外出はダメ、
はじめに述べたように、
命、健康は大事、
だけれども卒業式ができないとか、
不要不急の外出を控えるとか、
私からすれば教育機会の喪失よりも、
そっちのほうがよほど当事者にとっての損失に思う。
「今しかできないこと」
その機会の喪失に他ならない。
お勉強は家でだってできる。
大人になってからだってできる。
それに授業のあるなしは関係ない。
勉強するしないは自己責任だ。
今はもうそういう時代、
子供たちが青春を謳歌できるように、
早く騒動が収まるといいと心から思う。