二階堂奥歯『八本脚の蝶』

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「世界の見え方」は人によって違う。


私に見える世界は、

どうやらまだまだ薄っぺらいようだ。


私がこんな私になってから、

まだ4年足らず、


その4年間で急速に取りこぼしてきた色々なものを回収している気がする。

 


二階堂奥歯『八本脚の蝶』


25歳、

若くして自死した女性編集者、

自らの筆での死の報告を最後に更新は途絶えた。

一部ではカリスマ的な人気を集めていたそのブログをまとめた本、

単行本は絶版で1万円オーバーの値が付いたこともあるらしい。


その文庫本が17年の時を経て、

2020年の2月に出版された。


ブログは今でも同じタイトルで残っている。


少し読むだけで心がズキズキと痛む。

特に死に向かう終盤だ。

「凶器」と言えるくらいに危険な文章たち、

それが私の心を目掛けて牙を向きだしにする。


彼女が好きな本として挙げた3冊のうちの一つを、

偶然にも私は所持していた。

めったに手に取らない相当にお堅い一冊なのに、


作中に登場する作品の数は膨大だ。

それだけ彼女は「生きてきた」のだろう。


私に縁のあるものはほんの一部だけれども、

見覚えのある作品や作家、アニメに漫画、

未読だけれど気になっていたそれら、

つらつらと並んでいる。


響くものがあるってことは、

思考が近しいのかな。


少しばかり自尊心を満たすとともに、

空恐ろしく思った。


ブログの書かれていた2年間、

私は鼻を垂らしながら何も考えずに、

形ばかりの勉強をしながらゲームと部活に興じていた頃だ。


彼女はその間に、

世界の正体を突き止めようと、

ありとあらゆる文献を漁ったり、

当たり前のことから、よくわからないことまで、

あらゆることの「経験主体」になりたいって、

首を突っ込んでみたり、外から眺めてみたり、

そうして生きる理由を探した。


だけれども、

そうやって動けば動くほど、

「絶望」という病に蝕まれることになる。

 

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「答えなんてないよ」


いくら外の世界を探したところでさ。

明確な答えなんて見つからない。


「自分らしさを見つけること」


この世界に「答え」と言えるものがあるのならば、

それは自分の内側にあるんじゃないのかな。


自分が何に心を震わせて、

何におかしみを感じて、

どうしたら死にたくなるのか。


そういうものと向き合う作業が、

「生きる」ってことなんじゃないかな。


だから「生きる」って大変なこと、

辛くて苦しいこと、


そうでなければそんな人生は嘘だ。


どこかに救いがあるとするならば、

それは日常にちりばめられている。


ふとした時に感じる安らぎや高揚感、


そういうものを拾い集めて燃料にする。

だから明日も生きられるんじゃないかな。


世界の正体に近づくほどに、

こうした日常は色褪せてしまう。

 

自らの精神世界に閉じこもってしまって、

浮世のことに興味がなくなってしまうから、

 

だから、

大好きなあの子に振り向いてもらいたいだとか、

誰かに認めてもらいたいだとか、

コンプレックスを解消したいだとか、

そういうことで悩んでいる方が健全だ。

悩んでいないよりも健全だ。

 

悩みが人間存在の証明だとか、

世界のあり方だとか、

そんなものに及んでしまうと、

どう頑張っても一人では抱え切れない。


足元に目を向けて今日を生きる。

今日生きられたら明日を生きる。

その繰り返しで気が付くと最後の日はやってくる。

 

「もういいかな」って日もたくさんある。

そんな日は負けを認めてしまえばいい。

心は動かなくても手足は動かして、

負けを認めてしまえばいいのだ。


時間を費やした分だけ、

人はそのことに執着するようになる。


「理想像」が大きくなりすぎると、

それに取り込まれてしまって、

「こうあらねばならない」って、

身動きが取れなくなる。


今日が楽しければいい。

明日も楽しければなおいい。


今日が辛くたって、

明日も辛いとは限らない。


結局はそうやって馬鹿みたいに、

ただ生きられるのって幸せなのかもしれない。


彼女は側から見て、

決して不幸な境遇ではなかった。

優しい恋人を愛して家族から愛されて、

だけれども自死を選んだ。


「信念は諸刃の剣」


人生に彩りを与える代わりに、

足を踏み外してしまうと「絶望」の世界に真っ逆さま、


だいぶこじらせてはいるけれど、

私はまだ手遅れなほどではないようだ。


自分に見える世界が薄っぺらくて良かった。

才能がなくて本当によかった。


しがみつくでもなく、

ただあほの子みたいに、

あるがままに「生」を享受しよう。

 

少なくとも今はそう思える。