きっと大きな理想像があって、
現実との乖離に嫌気がさす。
それでも歯を食いしばって、
その理想像を必死に追ってきたけれど、
それって何のためにしているんだっけ?
「人生に期待しすぎている」
趣味が「努力」だって人は、
「理想像」を燃料にして手足が動く限り動き続ける。
手足が動かなくなると、
そこからは「気力」に手を付ける。
本来は取っておかなければならない「気力」
そこに手を付けて心の燃料を振り絞るように動き続ける。
それを使い果たして空っぽになるまで動き続ける。
心地よい疲労感で終わればいい。
だけれどもイレギュラーは起こるもので、
心の燃料を使い果たした後に負荷がかかってしまうと、
もはや手の打ちようがなくなってしまう。
どこかに余力を残しておかないといけないのだ。
人生って、
うまくいく場合もあるし、
うまくいかない場合もある。
理不尽なことだってたくさんあるし、
己の信念に照らし合わせて許容できないこともある。
そういうことに対峙したときに、
どのような行動をとるかは自由、
だけれども忘れてはならない。
すべては「自己責任」なのだ。
人生に期待して前に進み続けるもよし、
だけれどもその結果報われなくて、
心が擦り切れてしまっても自己責任、
ほどほどに余裕をもって生きるのもよし、
だけれどもどこか虚しくて悶々とした人生を送り、
死の間際に後悔をしても自己責任、
私は自分の人生に期待しすぎているのかな。
「自分はもっと報われるべきだ」って、
そう思い込んでいるのかな。
だけれども、
できない奴ほど自己評価が高いらしい。
「ダニング=クルーガー効果」ってやつ、
理不尽に裏切られて、
「うまくいかない」って思っていても、
それって自分のダメなところを目隠しして、
見て見ぬ振りをしているだけなのかな。
それではいつまで経っても、
人生はうまくいかないはずだ。
どう考えても、
何か方向転換をしないといけない頃合いだ。
どう転んでも「自己責任」
そのことだけは忘れないようにしないと、