「誰かの役に立ちたい」だとか、
「社会に貢献したい」だとか、
そういうことを目的に社会人をしている人、
そんな人とたまに出会う。
それはそれで尊いことなんだけれども、
それで足元を見られてしまっては元も子もない。
自分が使う側ならば志は大事だけれども、
使う側の多くはそんな事考えていないよ。
小洒落たCMと同じようなもの、
ブランディングために企業はそういうものを謳うけれど、
実際に働いてみたらなんてことはない。
ほとんど形だけ、
そういうもの、
働くってさ。
会社や組織のためにすることじゃない。
ましてや隣に座っている人や上司のためでもない。
自分を幸せにしてあげるために働くのだ。
幸せな形は決まったものではないけれど、
社会人を長く続けるつもりならば、
少なくとも言えることは、
自分に知識と経験を積み重ねて、
市場価値を上げるために、
まずはそのために働くのだ。
会社の利益を生むために働く対価が賃金、
だけれどもそこから自分の取り分は、
きっちりといただかないといけない。
「使命感の搾取」
このテーマでは一度記事を書いているけれど、
最近、私の周りでは特に目に余ると感じるものが多い。
社会や組織って、
責任の所在は曖昧で気がつくと手に負えないくらい大きくなっている魔物、
そんな魔物は狡猾に立ち回るから、
当たり前のように搾り取る。
自分の価値を信じられない若者、
それが格好の餌食だ。
使命感とは違うけれど、
政治だってそう。
若者は関心がないものだから、
年寄と金持ちに有利な方向ばかりに進んでいる。
アメリカの大統領選や、
暴力に訴えることはともかくとしても、
香港の若者たち、
熱いところは熱いのだ。
若者たちが熱量を示していかないと、
構造は変わらないのだろう。
「搾取されている」
それを知っていて動かないのならば別にいい。
だけれども知らないうちに搾り取られているよ。
気がついたときにはカラカラに干からびている。
できることは潤いを求めて彷徨うだけ、
手遅れになる前に、
少しでもルールを作る側に食い込んでいかないといけない。
いつだってそう。
弱いところから搾り取る。
どんなに表面ばかりきれいに飾っても、
社会ってそういうもの、