不倫騒動の渦中にある、
東出昌大氏の会見、
とても誠実に見えるけれど、
どこか芝居の延長線上みたい。
妙に白々しく感じたのは私だけだろうか。
まあ性欲をコントロールできなかった結果だ。
人間的に未熟だったことは間違いない。
誰に対しての気持ちかはともかく、
反省していることは間違いないのだろう。
会見を見て初めて知ったのだが、
お相手の唐田さんは『凪のお暇』に出ていたあの子か。
とても健気でかわいそうな役柄だった。
「自分なら凪ちゃんよりもこっちの子を選ぶのに」
そう思いながら見ていた。
現実のほうでも残念な結果、
人の不倫に興味はないので、
背景やら経緯は知らないけれど、
こういうタイプで売っていての不倫は致命的、
「不倫した女」って、
イメージは一変する。
そうやってたくさんの美女が失脚してきたものだ。
だけれども、
そもそも不倫で損をする人って、
当事者くらいでしょ。
まあ、表の顔という虚像に踊らされて、
「ファンだったのに裏切られた」ってのはあるか。
それを考慮しても、
世間の不倫に対する風当たりって、
実害に比べて大きすぎる気がする。
おそらくその正体って、
「自分はルールに従って生きているのに」って、
そういう僻みからくるもの、
ルールを守っている自分が損をするから、
「ルール」が形作る世界を脅かすから、
ルールの世界で生きている人は、
ルールを破る存在を排除したがる。
それが過剰な嫌悪感の正体なのだろう。
ルールに守られているくせに、
ルールを守らない、
社会はそういうタダ乗りのフリーライダーが嫌いなのだ。
だけれども、
もしも「結婚」という契約行為に、
「不貞行為禁止」という制約がなかったら、
そして社会的に制裁を受けなかったら、
自分も不倫するの?
「する」
そう答えるならば、
何で結婚したんだろうね。
「しない」
そう答えるべきでしょ。
いや「答える」ではないな。
そうあるべきでしょ。
「何年経っても、何十年経っても、
一人の相手とともに歩んでいく」って、
形ばかりでもなんちゃら式でそう誓ったのだろうから、
それだけの思いがあって、
結婚したんじゃないのかな。
結局は個人の人間性の問題、
「ルールを守れない奴はクズ」
世間はそうやって叩くけれど、
そういう問題ではないのだ。
「結婚は恋愛の終着点」
もうこれ以上、
恋で悩まなくてもいい。
私はそういう結婚を望んでいるから、
もがき苦しんでいるのだけれども、
世間の価値観って違うのかな。
倫理観だとか、
相手の感情だとか、
自分の気持ちだとか、
そういうものを気にしすぎて貞操を守り続ける。
そういう私みたいなのも、
それはそれで問題だけれども、
おそらく私は「不倫」と対極にある存在、
それが良いのか悪いのかはわからないけれど、
そうやって少しは「いい人」アピールでもしておくか。
性欲をコントロールできているのかといえばそうでもない。
ただチャンスを逃し続けている臆病者ってだけなのだけれども、
「いい人」はどこまでいっても「いい人」で終わってしまう。