「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

愛を育むための行為

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それ以外の何物でもない。


なんだか最近の私はどうかしていた。

焦りから「とりあえず」という感情に流されていた。


私は純潔を守り続けてきたのだ。

捨てられなかったのではない。


二十歳そこそこの時に掲げた尊大な正義感、

それを捨ててしまったら私ではない。

 

はじめは厚底サンダルのかかとくらいには厚みがあった私の自尊心、

 

徐々にすり減って、

すり減らされて、

これでもかというくらいに、

すり減って、

今では生春巻きの皮くらいにペラッペラだ。

 

透かしてみると、

ぼやけて向こうが見えてしまう。

下心と同じように、

 

気持ちもないのに出会いばかり重ねて、

なんだかよくわからない精神状態だった。


「卑屈」


まさに私の状態を表す格好の言葉、

とにかく邪推ばかりして、

自分を嫌いになる日々の繰り返し、


ブログを始めて明日で2周年、


2年前と最も大きく変わったこと、

「可能性が狭まった」


1年前と最も大きく変わったこと、

「もっと可能性が狭まった」


周りは先に進んでいくのだ。

 

時と共に人生を積み重ねていく。

取り残されているのは私だけ、


そういう事実に右往左往して、

とにかくガムシャラに動いていた。


そのたびに私は私ではなくなる。

妙齢の女性を「結婚相手の候補」としか見なくなる。

 

そうした視点ばかり先行するものだから、

歳をとるにつれて求めるものは高くなる。

どんどん可能性を狭めていく。

 

パートナーは自分を飾る装飾品かなんかではない。

 

目の前の女性はずるくて弱い。

だけれどもそこが愛おしい。

そういう生身の人間なのだ。

 

「人同士として向き合うこと」

 

そのためには、

もう「それでいいじゃない」って、

理想と合わなければ「一人でいいじゃない」って、

そういう強さが必要なのだ。


何が人生の目的かって?

「私らしく生きること」


それを突き詰めた先に、

後悔のない終わりが待っているのだろう。

 

ただ真っ直ぐに進んだ先に、

ちょうどタイミングよく互いの人生が交差する。

そしてすれ違わずに立ち止まる。

さらに手を取り同じ方向に歩んでいく。

それが「人生の伴侶」ってものなんじゃないかな。

 

そんな相手と巡り合えないならば、

きっとそういう人生なのだ。

 

求めるほどに遠ざかる。

求めるほどに価値観が崩れていく。

私ではなくなってしまう。


「伴侶を求める」って、

「愛を育むための行為」

決して自尊心を満たすためのものではない。


自分を、

周りの人たちを、

「大切にしたい」って、

そういう気持ちを育むための行為、


結婚も、

体を重ねることも、

きっと同じ、


受験や就活みたいに、

何かに属するために、

「既婚者」って立場を手に入れるために、

そのために婚活をするのならば、

それってきっと本末転倒だ。


どのような出会いであっても、

愛を育んだ先に「結婚」がある。


容姿や、

立場や、

収入って、

時とともに移ろうもの、


それを愛してしまったら、

それが消えると同時に、

そこにあったはずの「愛」も消えてしまう。

 

「命」を愛するために、

我々はそのために生まれてきたのかな。

 

その事だけは忘れずにいたい。