とても印象に残る一言、
某元アイドルさん、
「努力は必ず報われる。
私の人生を通してそれを証明します」
私にもそう思っていた時期はあった。
若いうちは臆面もなくそういうことを言えるのだ。
実際にそれを心の底から信じているのだろう。
だけれども、
「自分は努力している」
そう思って生きている時点で、
もはやそれは自己満足だ。
夢や目標があるから、
それを叶えるために、
当たり前のことを当たり前のようにやり続ける。
そういう人がきっとうまくいく。
努力って報われないことのほうが多いから、
「自分は努力している」って、
そういう自意識が生まれてしまうと、
見返りを求めるようになる。
「こんなに努力しているのだから報われるべきだ」って、
報われないほどに負の感情は積もっていく。
それでも努力して努力して、
報われることもある。
そうすると今度は過剰な自尊心との戦いになる。
「自分は優れているんだ」って、
努力して成功を掴み取ったんだって、
「傲慢」と「謙虚」の間で揺れる心を飼い慣らす日々の始まり、
「成功したから努力は正しいんだ」
かたや、
「努力が足りないから報われないんだ」
努力に傾倒しすぎると、
成功してもしなくても、
「努力中毒」になる。
「努力していないと自分を認めてあげられない」って、
「努力していないと生きている価値がない」って、
そうやってブレーキが壊れてしまうのだ。
悲しいことに、向上心が高く、
自分の人生と向き合っている人ほど、
「努力中毒」になりがち、
これってある種の病気なのだ。
努力していないと不安になる。
依存症の一種、
心の声に耳を傾けてごらんよ。
見通せない未来ばかりに思いを馳せたところで、
どうなるかはわからないよ。
明日には死んでいるかもしれないし、
1年後に人類は滅びているかもしれない。
それならば、
今の欲求に対して努力をすればいい。
やりたいことってあるはずなのに、
それに蓋をしてやりたくないことばかりをすることで、
「努力する」ために「努力する」
そうすれば、
「とりあえず」は居場所はあるから、
そうすれば、
「とりあえず」は自分の価値を認めてあげられるから、
何もしていない。
前に進んでいない。
そんな自分が許せない。
怖いんだよね。
居場所を失うことが、
努力することで、
「とりあえず」確保している、
居場所を失うことが、
だけれども人の価値って、
そんなものでは決まらない。
「自分らしさを発揮すること」
それができていれば、
あなたがこの世界にいる価値はあるんじゃないかな。
「自分らしさが分からない」って?
まずは「心の声に耳を傾けること」
先の未来じゃなくて、
今やりたいことを自分の心に聞いてあげること、
抱えている責任は最低限果たしながらも、
その心が発した欲求を叶えてあげること、
その積み重ねで自分を認めてあげられるんじゃないかな。
誰から認められなくてもいい。
自分だけは自分を認めてあげる。
忌々しいほど不遜に生きる。
きっと「努力中毒」のあなたには、
それくらいがちょうどいいはず、
努力が報われたところで、
心からの笑顔は出てこない。
出たとしても一瞬で消えてしまう。
次の努力の対象を探すことばかり考えてしまうから、
「努力中毒」って、
ホント病気なのだ。
「努力すること」は大事だけれども、
「努力すること」が人生の目的ではない。
最低限必要な努力って、
「大切なものを守る努力」
それだけでいいのだ。
努力した結果、
自分を殺してしまっては意味がない。
努力はほどほどに、
使いどきを間違えずに、