理不尽な目にあっても、
さほど心は動かなくなった。
主張すべきことは主張するけれど、
結局は自分に力があるかどうか。
権力や小手先の技術ではない。
「人間力」って名前の力があるかどうか。
擦り切れて心が麻痺してしまったのだろうか。
それとも「少しのことでは傷つかない」
そんな強靭さを手に入れたのだろうか。
そのどちらかはわからないけれど、
あまり周りの目ってやつを気にしなくなったのだ。
「器の大きさ」
人の善意も悪意もたくさんため込んで、
それを消化するから味に深みが出る。
人間味という味に、
少しばかりの善意や悪意しか受け止めないで生きていると、
薄味の人間になってしまう。
たくさん喜ぶことで、
たくさん傷くことで、
コクのある深い味わい。
そんな味を手に入れるのだろう。
私はそんな生き方を続けたい。
誰のためでもない。
自分のために、
自分の理想のために、
たくさん傷ついて、
病気までして、
たくさん助けられて、
支えてもらって、
私の器には入りきらないだけの、
たくさんの気持ちを迎え入れたから、
少しは器が広がって大きくなったのかな。
裏技なんかない。
きっと地道に心を動かして、
善意や悪意を心で消化していく。
それが器を大きくする唯一の方法なのだ。
気が付いていないだけで、
世の中はたくさんの善意と悪意であふれているよ。
それを受け止めるのも、
受け流すのも自由、
急に受け止めすぎたら壊れてしまうし、
受け流しすぎたら、
幸せを掴むチャンスまで逃してしまう。
だから受け止められる容量を増やすのだ。
たくさんの気持ちを理解するために、
それがきっと、
「器を大きくする」ってこと、
もうこれ以上、
チャンスを逃して傷つきたくないな。
だけれども傷つくことも器を大きくするチャンス、
どうやら世界は、
「幸せになる」か「成長する」か、
そんな素敵な二択でできているみたい。
捉え方次第だ。
こんなに素晴らしい世界ってないな。