私のことをひどく傷つけた人がいる。
そして私がひどく傷つけた人がいるかもしれない。
いつだってそう。
被害者は「傷」をいつまでも覚えているけれど、
加害者は「傷つけたこと」を時とともに忘れてしまうのだ。
「都合の悪いことは消えていく」
人間の脳はご都合よくできているもの、
だけれども、
ふとした時に思い出す。
そして自分の不誠実さに愕然とする。
そんな瞬間がある。
傷つけても、
傷つけられても、
まともな人間ならば、
どこかに「負い目」を背負うことになる。
人って虚しいもの、
大事に思っていても、
自分の不安や欲望を抑えられずに、
誰かを傷つけて、
大事に思う気持ちによって、
誰かに傷つけられて、
生きるって、
その繰り返しだ。
負い目があっても、
癒えない傷があっても、
「生きる」しかない。
生きて、生きて、生きて、
「生きる」しかない。
自分の人生は自分のもの、
誰かが代わりに生きてくれるわけではないのだ。
そして同じように、
人の人生はその人のもの、
自分が代わりに生きるわけにはいかない。
どんなに大事に思っても、
どんなに負い目を感じても、
死を願うほど憎んでも、
自分の人生は自分のもので、
人の人生はその人のもの、
それを変えることはできない。
それならば、
覚悟を決めないといけないな。
傷ついても、
負い目を抱えても、
自分の人生を生きる。
そんな覚悟を決めないといけないな。
「関わりたくない」
そう思うことは仕方がないけれど、
それを「憎しみ」の糧にしてしまったら、
誰かに引き摺られた人生になってしまう。
私は私の人生を生きるのだ。
きっとその覚悟が足りなかった。
少しずつでいい。
私は私の人生を生きる。
「憎しみ」に支配された人生なんて、
もう嫌だ。