このフレーズを書いて、
真っ先に思い浮かぶのは、
ドラマ『逃げるは恥だが役にたつ』で、
石田ゆり子さん演じる主人公みくりの叔母だ。
最後はだいぶ年下のイケメンと結ばれたな。
仮に私が「30代処女こじらせ女」で、
私のブログタイトルが「30代処女こじらせ女の記録」だとしたら、
おそらくアクセス数は今の倍以上になるだろう。
それだけ「童貞」と「処女」の価値は違うのだ。
はじめに断っておくが、
いい年して相手に処女性を求めているわけではない。
あくまでも「どちらかといえば」と言う程度だ。
だけれども、
私に結婚を考えてお付き合いする相手ができたならば、
例え相手の年齢がいくつであっても、
「処女」の方がいいと思う。
それは私が未経験だと言う補正もいくらかあるだろうけれど、
世の男性には少しはこの気持ちがわかると思う。
しかし逆はどうだろう。
「どちらかといえば」であったとしても、
結婚相手は「童貞の方がいい」と言う女性は稀ではないだろうか。
どこかでうまい例えを見たことがある。
「一度も陥落していない城は頼もしく見えるが、
一度も城を落としたことのない兵士は頼りない」
なるほどと思った。
これが世の中の感覚なのだとすれば、
「童貞」には価値がないのだ。
「処女」は捧げるものだけれど、
「童貞」は捨てるもの、
この価値観の違いってなんだろう。
男には求められる男の役割があって、
それを果たせないと恥ずかしい存在なのかな。
ジェンダーフリーなんて形ばかり、
結局は多数派が求めるものに価値がある。
なんだか虚しいな。
だけれども、
去年の夏に好きになった女性、
私が「もう10年以上も彼女がいないよ」って、
「だけれどもその分、一途だよ」と言う言葉を付け加えてカミングアウトすると、
「えー、何それいいじゃん。いっぱいデートしようよ」
って、
そう言ってくれた。
それから「いっぱい」どころか、
一度もデートをすることなくフラれたのだけれども、
ただの口から出まかせだったのかもしれないけれども、
「そう思ってくれる人もいるんだ」って、
前向きに捉えるしかないのかな。
こじらせすぎて辛いよ。
だけれども、
ないものはないのだ。
「ありのままの私を丸ごと受け入れてくれる女性」
そんなものに憧れを抱いているうちは、
うまくいかないのかな。
コンプレックスと向き合うのって辛いこと、
だからそれを肯定してくれる相手を探したがる。
だから私は童貞なのだ。