「原則出勤は禁止」
これで私の一番のストレス要因を遠ざけることができる。
このひと月でそれは私にとって良い変化を生み出すのかな。
なんで私があのクソ女をここまで憎んでいるのかというと、
彼女が私にとって「惨めさの象徴」だからだ。
向こうは「嫌われている」とは思っていても、
「死ねばいいのに」と思うほど憎まれているとは思っていないだろう。
私の女性関係がうまくいかないたびに、
「憎しみ」は積み重なる。
あの子には全く関係のないことでも、
あの子の上に少しずつ積み重なる。
そして気がつくと、
私はあの子を「惨めさの捌け口」として使っているのだ。
だから些細な不誠実さやバカさを目にするだけで、
どうしようもないほどイライラする。
「いい迷惑」
向こうからすれば完全にいい迷惑だな。
二股をかけるようなクズだ。
あからさまに避けたり、
かと思えば媚びてきたり、
取り巻きに言いふらして私の評判を下げようとしたり、
いちいち神経を逆撫でてくる。
衝動的で思慮が浅く極端な行動、
そのくせ価値判断の基準は周りと同じかどうか。
見た目だけはいいから、
おたおたしていたら誰かが何とかしてくれると思っている。
そうやって生きてきたのだろう。
もはや何をされてもイライラする。
存在自体がストレスなのだ。
それでも、
死ねばいいと思うほど憎いなんてどうかしている。
「憎しみ」って、
こじらせると怖い。
こんなに人を嫌いになったことはない。
こんなに人に苦しめられたこともない。
こんなに人に傷つけられたこともない。
それは私にとって彼女が特別だったってこと、
だからこそ、
「惨めさの象徴」
好意が叶わない、
その反動で嫌悪感が生まれる。
もう既婚者だ。
正直どうでもいい。
こんなにイライラする理由なんてない。
きっと私の幼稚な正義感がそうさせる。
「あんなことをしておいて幸せそうにしやがって」って、
自分の掲げてきた主義に反するものが、
幸せそうにしているのが許せないのだ。
きっとそれだけ、
きっかけはあの子でも、
ここまでこじらせたら、
もう私のせいだ。
「幼稚な正義感」
それを捨てることができれば、
この「憎しみ」からは解放されるのかな。
ある意味では試練だ。
昔から私には独善的なところがある。
「自分が正しい」って合理性を盾にして、
それを相手に押し付けるところがある。
そして今の私の価値観では、
それは私自身の嫌いなところでもある。
乗り越えられるかな。
「三つ子の魂、百まで」
そう言うけれど、
まだまだこれからでも、
変わることはできるのかな。
「運命」ってやつは本当に嫌なやつ、
弱点ばかり責めてくる。
コンプレックスばかりを刺激してくる。
いつまで向き合えばいいのだろう。
「もうやめてあげて!ますをのライフはゼロよ!」
そうやって身を挺して止めに入ってくれる、
そんな素敵な女性は現れるのかな。
結局はあのクソ女が、
私のことを「不安を解消するための道具」にしたように、
私も彼女のことを「惨めさの捌け口」として使っているのだ。
「惨めさの象徴」
それを遠ざけようとするから、
いつまでも目の前から消えてくれない。
そろそろ幼稚な正義感を手放して、
大人になる時が来たのかな。
私が私ではなくなってしまっても、
新しい私に生まれ変わらなければならない。
「どんな形であれ、
好きだったあの子が幸せならば、
それでいいじゃないか」
たまにドラマとか映画で出てくるあれ、
本当にそんな聖人はいるのかな。
いるとすればきっと素敵な出会いと別れを、
幾度となく経験してきたのだろうな。
そんな「心がイケメン」
それは私にはどうしたってなれないもの、
これから先に「幾度となく」なんて、
もう経験できないだろう。
もはや手遅れなのだ。
恋愛ってもっと経験してくるべきものだったのだ。
私にはそれが足りない。
だけれども、
とりあえずは、
手持ちで勝負するしかないのだ。
例え敗色濃厚だとしても、
それが私の生きてきた道なのだから、