「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

デジタルに支配されているな

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今日から5連休だ。

だけれどもあまり嬉しくない。

こんな感覚は初めてかもしれない。

 

もちろん騒動により、

外出もできなければ、

指したる予定もないということは大きいだろう。

 

だけれどもここ最近テレワークなものだから、

メリハリがないのだ。

 

仕事に支障はない。

 

そうやって音楽を聞いたり、

アニメを流したりしながら仕事をしている。

 

そんな調子で自由に働いているものだから、

出勤する日は身構えるようになった。

 

毎日当たり前のようにしていたことなのに、

出勤するだけで、

なんだか特別なことのように思える。

 

まだ一ヶ月も経っていないのに、

働き方って大きく変わるのだな。

 

最も大きかったストレスから解放されて、

それはそれで嬉しいことなのだろうけれど、

なんだか私の感性はバカになってしまったみたい。

 

最近の記事には如実に現れているけれど、

心に浮かんでくる言葉が極端に減った。

 

人のことや作品のこと、

そればかり書いていて、

自分のことを書いていないのだ。

 

私のブログのテーマは、

「私と世界との関わり方」だ。

環境が変われば心も変わってしまうのかな。

 

人との触発で、

心を動かされる。

 

映像や音声では限界がある。

どこか無機質なのだ。

 

「情報」という目的のみを抽出して、

それ以外は濾過されてしまう。

 

そのフィルターに残されたところに、

「生と生との触発」があるのにね。

 

どうやら便利にするために、

それを無造作に捨ててしまうみたい。

 

「デジタルに支配されているな」

 

今の生活を振り返って、

なんだかそう感じる。

 

人とは触れ合わず、

画面とばかり向き合っている。

今回の騒動で、

それはより顕著になった。

 

きっとこれからの世の中って、

どんどんそっちの方向に進んでいくのだろうな。

 

「生身に触れたい」

 

少し前から話題になっていて、

動物と触れ合うカフェが人気みたいだけど、

それってそういう欲求から来るものなのかな。

 

「癒されたい」

 

だけれども、

デジタルでは人の心は癒えないのだ。

 

濾過されてしまったものばかりに囲まれて、

大事なところを捨てることに躊躇しなくなって、

 

そんな世界で生きていく。

私にはそういう覚悟を持つことはできないな。

 

ストレスと感じる相手とは関わりたくない。

そのくせ、人とは触れ合いたい。

なんとも身勝手なものだ。

 

だけれども、

その身勝手さも人間、

 

そうやって心広く構えることができれば、

不便な世の中でも楽園に変わる。

 

「便利じゃないと生きていけない」

それって進化なのかな?

 

テクノロジーの発達とともに、

人は退化していくようだ。

 

そう感じているのは私だけだろうか。

 

映画『ターミネーター』や『マトリックス

そういう世界に近づいているのかもしれない。

 

便利になればなるほどに、

失われるものもあるのだ。

 

使い古された表現だけれども、

人って「不完全だから互いに支え合う」

その漢字は「人と人とが支え合っている」

 

もちろんテクノロジーが発達しても、

インフラを管理したり、

事務作業に従事する人がいたり、

見えないところで人と人とは支え合っているのだけれども、

 

「なんでも一人でできてしまう」

 

そういう世の中って、

本当に便利なのかな?

 

なんでも一人でできてしまっても、

なんだか心は不自由だな。