人には「自己肯定感」が必要だ。
自尊心だとか自尊感情、
アイデンティティと言い換えてもいいかもしれない。
地位や名誉、
資産や肩書き、
そういう物を手に入れるほどに、
その人の自己肯定感は高まる。
一見するとそうだろう。
だけれども、
そういうものを心の拠り所にすると、
それを失った途端に、
自分が何者だかわからなくなる。
手に余る栄光を手に入れたことで、
人格まで変わってしまう人もいる。
「自分は優れているんだ」って、
他人の評価でしかそれを確認できなくなる。
一種の依存症だ。
人は強烈な高揚感を経験すると、
その対象に依存することになる。
それが強烈であればあるほどに、
抜け出せなくなってしまう。
今まで積み重ねてきたもの、
裸になっても離すことができないもの、
そういうものが、
自分自身の本当の価値なんじゃないかな。
きれいに着飾って、
得意気に名刺を忍ばせて、
預金通帳を眺めながら自己肯定感を高めたって、
最後はすべてを手放すことになるのだ。
ありのままの自分を好きになってあげないと、
結局はどこかで行き詰まる。
誰が見ていても、
見ていなくても、
自分は自分のことを見ている。
だから自分のことを嫌いになるような行動はしない。
そういう積み重ねで、
「自分の価値を認めてあげること」
それを徐々にできるようになるんじゃないかな。
誰かに認めてもらわないと、
自分のことを認めてあげられない。
それでは余りにもかわいそうだ。
誰かに自分の価値を委ねたところで、
いつまで経っても救われない。
どこかで変わらなければならないのだ。
「幼稚な全能感」を捨ててさ。
「自分にはできない」ってことを認めようよ。
「自分は大したことない」ってさ。
そこから始まるんじゃないかな。
「自分が何者かを知りたい」
そういう言葉をよく聞くけれど、
それって本当に必要なことなのかな。
その言葉の頭には「誰かと比べて」って、
そんな言葉がつくんでしょ。
本当はさ。
自分は誰よりも自分のことを知っているけれど、
「不甲斐ない自分」を認めてあげたくないだけ、
人生は長いから、
上手くいくこともあれば、
上手くいかないこともある。
上手くいったことばかりに縛られると、
どうしたって上手くいかない時の自分を認めてあげられなくなる。
「ダメな自分を無条件に愛する」
それってとても難しいことだけれども、
一人の時間を取れる今だからこそ、
それに取り組むべきなのかな。
人は孤独と友達になれなければ、
真に大人にはなれない。
自己肯定感の源泉って、
自分で自分の価値を認めてあげること、
いい年して子供のままなのは嫌だな。
死ぬまで子供のままでは嫌だな。
どこかで手放してあげないと、
長いこと仲良くしてきて、
いつだって自分を守ってくれた。
「幼稚な全能感」ってやつを、