創作意欲の源泉となるもの

f:id:tureture30:20200515092502j:image

 

ここ最近は言葉が出てこない。

理由ははっきりしていて「触発がないから」だ。

 

人とは触れない。

自然とも触れない。

感情は動かない。

 

だから言葉が出てこない。

 

それって私のブログにとっては、

割と致命的なこと、

 

私から出てきた言葉を紡いでここまでやってきた。

 

社会情勢やら書評やら映像作品評やら、

それはそれで記事になるのだけれども、

当の本人はどこか書いていて物足りない。

 

悩み苦しんでいた時期は、

筆を執ると自然と詩のようなものが降りてきた。

今は詩を書こうと思ってもでてこない。

 

「創作意欲の源泉」

 

それって「大きく心を揺さぶられる出来事」なのかな。

それが負の方向に動いたとしても、

心が動けば人はそれを誰かに伝えたくなる。

 

自分の居場所を確認するために、

「感動の共有」をしたくなる生き物、

それが人なのだ。

 

だから自分の心が震えていなければ、

誰かに伝えたいものなど何もないのだ。

 

口から先に生まれてきたような演説家、

どうにも「伝えたいことがある」ように見えるけれど、

よく見ていると「本当はどうでもいいんだ」って、

そういうのってわかる。

だけど誰も口にしていないだけ、

 

きっと文章だってそうだ。

惰性になっていたら、

皆さん気が付いているんだけれども、

誰も指摘しないだけ、

 

最近はあまりにも心の震えるような出来事がないものだから、

なんだか無意識にそれを探しているみたい。

 

空はこんなに青いのに、

大手を振って外を出歩けない。

 

早く収束してくれたらいいのにな。

今の生活はどこか「不自然」だ。

これでは湧いてくるものも湧いてこない。

 

今だから思う。

 

「悩み」や「苦しみ」も、

きっと人生に必要なものなのだ。

 

それは今回の騒動が教えてくれたものの一つ、