ここ最近は言葉が出てこない。
理由ははっきりしていて「触発がないから」だ。
人とは触れない。
自然とも触れない。
感情は動かない。
だから言葉が出てこない。
それって私のブログにとっては、
割と致命的なこと、
私から出てきた言葉を紡いでここまでやってきた。
社会情勢やら書評やら映像作品評やら、
それはそれで記事になるのだけれども、
当の本人はどこか書いていて物足りない。
悩み苦しんでいた時期は、
筆を執ると自然と詩のようなものが降りてきた。
今は詩を書こうと思ってもでてこない。
「創作意欲の源泉」
それって「大きく心を揺さぶられる出来事」なのかな。
それが負の方向に動いたとしても、
心が動けば人はそれを誰かに伝えたくなる。
自分の居場所を確認するために、
「感動の共有」をしたくなる生き物、
それが人なのだ。
だから自分の心が震えていなければ、
誰かに伝えたいものなど何もないのだ。
口から先に生まれてきたような演説家、
どうにも「伝えたいことがある」ように見えるけれど、
よく見ていると「本当はどうでもいいんだ」って、
そういうのってわかる。
だけど誰も口にしていないだけ、
きっと文章だってそうだ。
惰性になっていたら、
皆さん気が付いているんだけれども、
誰も指摘しないだけ、
最近はあまりにも心の震えるような出来事がないものだから、
なんだか無意識にそれを探しているみたい。
空はこんなに青いのに、
大手を振って外を出歩けない。
早く収束してくれたらいいのにな。
今の生活はどこか「不自然」だ。
これでは湧いてくるものも湧いてこない。
今だから思う。
「悩み」や「苦しみ」も、
きっと人生に必要なものなのだ。
それは今回の騒動が教えてくれたものの一つ、