「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「テラスハウス事件」に思う。プライベートを切り売りするということ

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「あいのり」は見ていたが、

テラスハウス」は見ていない。


ネットで少し調べた程度なのだが、

テラスハウス」に出演していた女性が、

誹謗中傷を苦にして命を絶ったという。


「プライベートを切り売りする」


ブログだってそういう面がある。

プライベートを晒すことで興味を引き、

自尊心を高めたり利益を得たりする。


それを自覚しているのであればいい。


だけれども無自覚にプライベートを晒して、

気が付くと後戻りできなくなっていたら悲惨だ。


そもそも私のように、

利益を目的としないでブログを書いているのって、

「承認欲求」が強いのだろう。


もともとの気質なのか。

それとも傷ついた経験によるものなのか。

それは人によるけれど、

 

晒すことで名前が売れるってことはあるだろう。

仕事の一環としてやらされていた可能性もある。


テラスハウス」出演に報酬が発生するのかは知らないけれど、

「真実の愛を求めて」っていい年した大人がそれはない。

相手を探すならばプライベートを晒さないやり方はいくらでもある。


「承認欲求」


それの強い人って、

「晒されること」ととても相性が悪い。


「認めてほしい」から敢えて人目に付くのに、

「認められない」ことによってさらに損なわれてしまう。


「認めてほしい」

だからプライベートを晒すのに、


「認められない」

それどころか存在を否定される。


なんとも「いたたまれない」ものだ。

 

もちろん人をおもちゃにして、

面白おかしく笑いものにする。

そんなクズは論外だ。

 

誰かの存在を否定することで、

自分が誰かの上に立っていると錯覚する。

そんな下の下の自尊心の満たし方、

それに夢中になっているクズ、


番組の在り方を問う声が多い。

 

同意があるとはいえ、

人のプライベートを食い物にする商売、

確かにそれにも問題はあるのだろう。

 

だけれども、

「出演者の自覚」

それが一番の問題なんじゃないかな。

 

亡くなった女性はいわゆるヒール役だったらしい。

叩かれることで存在意義を見出す役回りだ。


台本はないというけれど、

人が集まればパズルのピースのように役割にはまっていく。

コミュニティが作られれば、

人はその中に「居場所」を作るために役割を演じるのだ。

 
そしてその役割には、

共感する人もいればしない人もいる。


それが不特定多数に晒されるのだから、

どのような振る舞いをしても批判を浴びるのは必然だ。


だから晒す情報は取捨選択してさ。

その晒した部分については「叩かれてもかまわない」という覚悟が必要、

「プライベートを晒す」ってそういうことなんじゃないかな。

 

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「不愉快ならば見なければいい」

 

ごもっともな意見だけれども、

そもそも「見せなければいい」

見せなくてもいいものを自分の意志で見せているんでしょ。


顔も仕事も名前も出して、

不特定多数に晒して、

それで何とも思わないなんてどうかしている。

リスクとリターンを考えなければならないんじゃないかな。

 

今回の事件は「いたたまれない」

 

だからプライベートを晒すって、

リスクの高いことなんだって、

改めて認識しないといけないんじゃないのかな。


「承認欲求を満たすこと」

 

それは人生に彩りを添えるために必要なことだけれども、

それにばかり軸足を置きすぎてはいけない。


人からの評価が「自己存在のすべて」

それはとても恐ろしいこと、

 
自分で夢中になれるものを見つけて、

その一つ一つに可能な限りの力を注ぐこと、

柔軟な取捨選択も必要だ。


そうやって「自分」を形作っていくんじゃないかな。

 
仕事だけじゃない。

趣味だけじゃない。

家庭だけじゃない。

 
夢中になれること、

それをいくつも増やして隙間の時間を埋めていく。

 
そしてかけるべき時にかけるべきものに、

惜しみなく時間や労力を注ぐ。

とても難しいことだ。

 

だけれども、価値観の多様化によって、

そんな超人的なバランス感覚が求められている。


「これだけしていれば大丈夫」

そんな保証はどこにもないのだ。


社会が先に進みすぎて、

その変化を血肉にしていかないと取り残されてしまう。

 
互いが互いを監視して、

ほとんどの国民はいつでも不特定多数に情報を発信できる、

そんなツールを常備しているパパラッチだ。

 
死ぬまでのんびりできない。

そんな社会になってしまった。


番組が人気って、

それを社会が求めているってことでしょ。


社会が止まらないならば、

人がそれに合わせて変わるしかないのだ。

そうしないと淘汰されてしまう。


「プライベートを晒してもなんとも思わない」


それってもしかしたら進化なのかな。

そう進化しないとこれから先は生きられないのかな。

 
デジタル難民、

テレワーク難民、

情報難民、

 
そして肥大化した自己承認欲求に支配されて、

失われた自尊感情を求めて彷徨う、

そんな「自尊感情難民」

 

ある種の格差は広がる一方だ。


いくら社会保障が充実したところで、

難民は増える一方、

 

だからこそ自分の身は自分で守らなければならない。

 

逃げ道は常に確保して、

何かあれば見栄もプライドも捨てて、

全力で逃げ出せばいい。

そうしないと生きてはいけない社会なのだ。