「あいのり」は見ていたが、
「テラスハウス」は見ていない。
ネットで少し調べた程度なのだが、
「テラスハウス」に出演していた女性が、
誹謗中傷を苦にして命を絶ったという。
「プライベートを切り売りする」
ブログだってそういう面がある。
プライベートを晒すことで興味を引き、
自尊心を高めたり利益を得たりする。
それを自覚しているのであればいい。
だけれども無自覚にプライベートを晒して、
気が付くと後戻りできなくなっていたら悲惨だ。
そもそも私のように、
利益を目的としないでブログを書いているのって、
「承認欲求」が強いのだろう。
もともとの気質なのか。
それとも傷ついた経験によるものなのか。
それは人によるけれど、
晒すことで名前が売れるってことはあるだろう。
仕事の一環としてやらされていた可能性もある。
「テラスハウス」出演に報酬が発生するのかは知らないけれど、
「真実の愛を求めて」っていい年した大人がそれはない。
相手を探すならばプライベートを晒さないやり方はいくらでもある。
「承認欲求」
それの強い人って、
「晒されること」ととても相性が悪い。
「認めてほしい」から敢えて人目に付くのに、
「認められない」ことによってさらに損なわれてしまう。
「認めてほしい」
だからプライベートを晒すのに、
「認められない」
それどころか存在を否定される。
なんとも「いたたまれない」ものだ。
もちろん人をおもちゃにして、
面白おかしく笑いものにする。
そんなクズは論外だ。
誰かの存在を否定することで、
自分が誰かの上に立っていると錯覚する。
そんな下の下の自尊心の満たし方、
それに夢中になっているクズ、
番組の在り方を問う声が多い。
同意があるとはいえ、
人のプライベートを食い物にする商売、
確かにそれにも問題はあるのだろう。
だけれども、
「出演者の自覚」
それが一番の問題なんじゃないかな。
亡くなった女性はいわゆるヒール役だったらしい。
叩かれることで存在意義を見出す役回りだ。
台本はないというけれど、
人が集まればパズルのピースのように役割にはまっていく。
コミュニティが作られれば、
人はその中に「居場所」を作るために役割を演じるのだ。
そしてその役割には、
共感する人もいればしない人もいる。
それが不特定多数に晒されるのだから、
どのような振る舞いをしても批判を浴びるのは必然だ。
だから晒す情報は取捨選択してさ。
その晒した部分については「叩かれてもかまわない」という覚悟が必要、
「プライベートを晒す」ってそういうことなんじゃないかな。
「不愉快ならば見なければいい」
ごもっともな意見だけれども、
そもそも「見せなければいい」
見せなくてもいいものを自分の意志で見せているんでしょ。
顔も仕事も名前も出して、
不特定多数に晒して、
それで何とも思わないなんてどうかしている。
リスクとリターンを考えなければならないんじゃないかな。
今回の事件は「いたたまれない」
だからプライベートを晒すって、
リスクの高いことなんだって、
改めて認識しないといけないんじゃないのかな。
「承認欲求を満たすこと」
それは人生に彩りを添えるために必要なことだけれども、
それにばかり軸足を置きすぎてはいけない。
人からの評価が「自己存在のすべて」
それはとても恐ろしいこと、
自分で夢中になれるものを見つけて、
その一つ一つに可能な限りの力を注ぐこと、
柔軟な取捨選択も必要だ。
そうやって「自分」を形作っていくんじゃないかな。
仕事だけじゃない。
趣味だけじゃない。
家庭だけじゃない。
夢中になれること、
それをいくつも増やして隙間の時間を埋めていく。
そしてかけるべき時にかけるべきものに、
惜しみなく時間や労力を注ぐ。
とても難しいことだ。
だけれども、価値観の多様化によって、
そんな超人的なバランス感覚が求められている。
「これだけしていれば大丈夫」
そんな保証はどこにもないのだ。
社会が先に進みすぎて、
その変化を血肉にしていかないと取り残されてしまう。
互いが互いを監視して、
ほとんどの国民はいつでも不特定多数に情報を発信できる、
そんなツールを常備しているパパラッチだ。
死ぬまでのんびりできない。
そんな社会になってしまった。
番組が人気って、
それを社会が求めているってことでしょ。
社会が止まらないならば、
人がそれに合わせて変わるしかないのだ。
そうしないと淘汰されてしまう。
「プライベートを晒してもなんとも思わない」
それってもしかしたら進化なのかな。
そう進化しないとこれから先は生きられないのかな。
デジタル難民、
テレワーク難民、
情報難民、
そして肥大化した自己承認欲求に支配されて、
失われた自尊感情を求めて彷徨う、
そんな「自尊感情難民」
ある種の格差は広がる一方だ。
いくら社会保障が充実したところで、
難民は増える一方、
だからこそ自分の身は自分で守らなければならない。
逃げ道は常に確保して、
何かあれば見栄もプライドも捨てて、
全力で逃げ出せばいい。
そうしないと生きてはいけない社会なのだ。