アニメ『銀の匙 Silver Spoon』全22話を見た

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先日記事にした、

鋼の錬金術師』を書いた荒川弘さんの作品、

 

原作は少年サンデーで連載され、

長期の休載を経て昨年末に完結した。


アニメの方は原作の一部のみを描いている。

実写映画化までされている。


テーマは「命の尊さ」


青春の甘酸っぱさと相まって、

「じーん」と来る物語を紡ぎ出す。


北海道の山奥にある農業高校が舞台、

 

進学校に通っていた主人公は受験戦争に嫌気がさし、

逃げるように目的なく本校に入学した。

 

不器用で「断れない男」

秀才で卑屈なところはあるが、

見た目とは裏腹に根性があり仲間思い。

とても味のある主人公だ。


高校で出会う数々の仲間、

多くは家業を継いだり、

農業に関わりたいという確たる目標を持っている。

 

高校生にして厳しい現実に晒されて、

農業で生活することの大変さや、

命の重さを突きつけられる。


「飽食の時代」


我々は口にするものがどこから来て、

どのような経緯で店頭に並ぶのかを知らないし、

それを知る機会もほとんど与えられない。

 

「生きるため」

 

それだけを切り取れば、

深くを知る必要はないのかもしれない。


だけれども、

「命」と向き合いながら働く人たちがいる。

そして我々はその「命」を口にしているのだ。

その事実は変わらない。


「知らなくていいことなど何一つない」


先日記事にした、

吉本ばななさんの『哀しい予感』


そういうテーマの本を読んでから、

何気なく通り過ぎる物に目を向けてしまう。


世の中には、

知らなくても生きていけることがたくさんある。

その全てと向き合うことはできないけれど、

知ることで広がる世界はある。


高畑勲監督のジブリアニメ『おもひでぽろぽろ


その中で印象的なシーンがあった。

都会でOLをする主人公、


年に一度だったか、

田舎で親戚の手伝いに農作業をするのが楽しみだった。

 

その度に軽はずみに口にする、

「良いところですね」って言葉、


「農家の嫁に来ないか」って、

そんな現実を突きつけられたときに、

自分のその軽はずみな言動を酷く恥じる。


「私にはそんな覚悟はなかった」って、

「毎日の仕事にする覚悟はなかった」って、

「観光気分で来ていただけだった」って、


人の命は「晴耕雨読」で満たされる。

 

だけれども「命と向き合う」って大変なこと、

「自然と関わること」を生業とするって、

遊びでできることではない。

 

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「デジタル」に懐疑的になっていた。


自然に身を投じたり、

体を動かしたり、

人との触れ合いやらぬくもり、

そうした熱に満たされるって、

ここ最近の私の考えはそっちの方向に傾いていた。


晴耕雨読」になんて、

かじる程度にしか触れていないくせに、


結局はアニメで「デジタル」なんだけれど、

なんだか「自然に触れたいという欲求」

そういうものを呼び覚ましてくれた作品、


人が社会を作り出して、

食物連鎖の頂点にいるってのは、

思い上がりなのだ。


人も生かされている。

とんでもない奇跡に包まれながら、


少し前のドラマ高橋一生さんが主演した、

『僕らは奇跡でできている』

それがそんなテーマだったな。


銀の匙


「食うに困らない裕福な生まれ」

そういう意味があるらしい。


同名の中勘助さんの小説は一度読んだことがある。


「食うに困らない」


現代人の多くはそんな裕福さを、

自覚なく享受しているのだ。

その先にあるものに目を向ける機会すらなく、


だから「命」を軽率に扱うようになる。


「牧歌的」そのままにほのぼのとしながらも、

そんな病理を浮き彫りにするような作品、


連載終了して、

おそらく続きがアニメ化される期待は薄いだろう。


「原作の漫画を最後まで読みたいな」

そう思うくらいに心に響く作品だった。