「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「好き」ほど不確かなものはないけれど「嫌い」ほど確かなものはない

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「好き」が「嫌い」に変わるのは簡単だ。

だけれどもその逆は簡単ではない。

 

人は脅威に対しては身構える。

 

だから一度「存在を脅かすもの」

そう認識してしまうと、

その評価を覆すには余程のことが必要、


「好き」

 

その感情の根っこにあるもの、


「居心地がいい」だとか、

「居場所を与えてくれる」だとか、

「存在を認めてくれる」だろうか。


自己存在を他人に委ねる。


「居場所を与えてくれる誰か」

「存在を認めてくれる誰か」


その存在に対して人は「好意」を抱く。


居場所を求めた末に生まれる感情だ。

そして相手の気持ちによって変わる。

そう考えるととても移ろいやすく不確かなもの、


逆に、

「嫌い」


その感情の根っこにあるもの、


「居心地が悪い」だとか、

「居場所を奪う」だとか、

「存在を認めない」だろうか。


「自己存在を脅かす恐れがある」

そういう存在に対して人は「嫌悪」を抱く。


手にしている自己存在を守るために生まれる感情、

言わば「自己防衛本能」なのだ。

 

人は「居場所」を失うことを恐れる。

だから気持ちは「好き」よりも「嫌い」に傾きやすいのだ。

 

そう考えると確かなもの、

 

相手が「好き」でいてくれないと、

自分の「好き」を維持することは難しい。

だけれども「嫌い」

その感情には相手の気持ちは関係ない。


「好き」は攻めで、

「嫌い」は守り、

手に入れる褒賞は「自己存在」


人生は戦なのだ。

「居場所」を手に入れるためのための戦、

 

満たされていて、

手持ちに満足していればいい。

それ以上、領土を広げる必要などないのだから、


だけれども、

そうはいかないのが人間だ。

 

「満たされない」

 

失ったものばかりに囚われて、

手に入ったはずのものにばかり思考を奪われて、

手に入らない現状から抜け出そうと空回りする。

 

だから、

「好き」という気持ちを担保に攻勢に出る。

あるかどうかもわからない。

そんな不確かな感情にすがるのだ。

 

「満たされない」現状から、

その先に希望を見出そうと必死にもがく。

 

そう考えると、

「好き」って気持ちもまた、

「満たされない」ってことから自分を守るための、

自己防衛本能なのかな。

 

「好き」って言葉を武器にして、

「居場所」を確保しようとする人がいるけれど、

それは当たり前のことなのかな。

 

結局は「好き」って打算から生じるもので、

そこに美しさなんてない。

そう考えるとなんとも虚しい。

 

「好き」と「嫌い」


そのバランス感覚に長けた人が、

たくさんの「居場所」を手に入れるのだ。

 

恋愛なんて化かし合い。

 

誰もが羨む魅力的な女性と結婚しても、

複数の女性との不倫に興じるくらいなのだから、

 

私は「好き」って感情を信じられない。

だけれども「嫌い」なら信じられる。

 

「汚れてしまったな」

なんだかそう思った。