「かわいい」って、
女性に対して思うことがある。
その「かわいい」の正体、
それって自分より下に見ているから出る言葉なのかな。
子供に対しての「かわいい」
おそらく大人の女性に対しての「かわいい」と、
大差のない感情から発する言葉だろう。
私はフェミニストだ。
どんなに傷つけられて女性を怖がっていても、
まだまだ人と比べればそう言えるくらいには、
紳士気取って誠実ぶっている。
そんな私から発する「かわいい」
その出所に傲慢さを感じる。
「愛おしい」ならばわかる。
異性らしさを垣間見たときに、
そのしぐさに対して発する感情だ。
その出所には傲慢さを感じない。
「美しい」ならば畏敬の念が含まれる。
「賛美」や「賛嘆」
言葉の響きからも下に見ているとは到底感じない。
だけれども、
「かわいい」
私の脳内でふと浮かぶその言葉、
なんとも不遜だ。
ただの言葉遊びなのかな。
「かわいい」にも、
「愛おしい」にも、
「美しい」にも、
その出所には大した差はなくて、
「かわいい」を慣用句として使っているだけなのかな。
女性の皆さんに聞いてみたい。
「かわいい」
意中でもない男性からそう思われて、
女性はどう感じるのだろう。
最近はもう言われなくなったけど、
年上女性からの「かわいい」
割と私に向けられることが多かった。
その時は「童心に帰っても良いよ」って、
そう言ってもらえた気がして、
むず痒くも心置きなく可愛くいても良いんだなって、そう思えた。
人は「かわいくありたい」と思いながらも、
周りの評価や立場を気にしすぎて、
その「かわいさ」を表に出すことを躊躇っているのかな。
だから「かわいい」って、
素直に嬉しいものなのかな。
だけれども、
女性にとってのそれって、
むしろ処世術、
生きるための術なのかな。
もちろん男も人によってはそうだけれども、
前にどこかで読んだけれど、
力で屈服されていても、
自分に夢中な男性の姿を見て、
女性は「自分が支配している」って感じるらしい。
だから「かわいい」
そう思わせて夢中にさせることが、
「女の花道」ってやつなのだろうか。
それならばいい。
男はただ術中にハマって転がされているだけだ。
女性が自尊心を満たす材料にしているならば、
それでいい。
下に見るように仕向けて、
実は支配につなげようとしている。
猫なで声で甘えてみたりだとか、
目を見つめながらお願い事をしてきたりだとか、
なよなよした態度で心配を誘ったり、
拗ねた時のアヒル口、
ぜーーーんぶ計算通りなのかな。
私が騙されていただけか。
それならば良かった。
「かわいい」
口にするのは憚られるけれども、
私は脳内で心置きなく、
女性に対してその言葉を繰り返すことにしよう。
そのうちに、
つい口をついて出てしまい、
またカモにされてしまうかもしれないけれど、
かわいければそれでいいのだ。
「可愛いは正義」
男はちょろいな。