お金ってものは「保険」
世界中のすべての人たちが、
「その日暮らし」に夢中になって、
必要以上にお金を増やすことや、
将来に向けての貯蓄を止めたら、
幸せの総量は増えるのだろう。
少なくとも「今この瞬間」は、
多くの幸せを感じられるのかもしれない。
それを少しばかり蔑ろにして、
人は「将来の不安」にばかり思いを馳せるのだ。
「今日一日を笑って過ごせればいい」
「明日のことは明日考えればいい」
それでいいじゃない。
「不安」が「幸せ」を蝕むのだ。
将来のことばかり考えて、
見えない敵と闘って、
そうして疲弊してしまう。
「人間なんていつ死ぬかわからないんだよ」
『君の膵臓をたべたい』がそんなテーマだったな。
私は将来に備えすぎているのかな。
少なくとも「お金」の面ではそうなのだろう。
記事にしたばかりだけれども、
私は老後にばかりお金をかけている。
「その日暮らし」って、
今の私と対極にある言葉だ。
「満たされない」
何も「パートナーがいないから」じゃなくて、
「今を生きていない」から、
だから満たされないのかな。
もちろん後先考えずに、
果たすべき責任を果たさないで「その日暮らし」
それでは愛想尽かされてしまう。
だけれども、
「毎日が楽しくない」って、
それはそれで問題なんじゃないかな。
「老後のために生きているの?」
老後なんてないかもしれないのに、
「将来築くはずの家庭のために生きているの?」
結婚できるかどうかもわからないのに、
色々なものを掴み取ってきたから、
それを掴み取れないと、
自分を認めてあげられないのだ。
先に進む努力をしていないと、
自分を認めてあげられないのだ。
「何のために生きているの?」
誰かと比べて優越感に浸るために生きているの?
全ては自分を飾る装飾品で、
ステータスを得るために生きているの?
「制約を増やしてそれを守ることが努力」
そんな努力を続けていないと、
自分を認めてあげられないのならばさ。
掲げた理想なんて捨ててしまって、
ちゃんと幸せを感じられる日々を送るところから始めればいい。
スタート地点はそこなんじゃないかな。
どうやら私は私のことを、
信じてあげられていなかったみたいだ。
「生きるってことは、人と心を通わせるってこと」
『君の膵臓をたべたい』の中での印象的な一言、
私にはどうしても心を通わせたくない相手がいる。
「惨めさの象徴」
まずはそこから手を付けなければいけないのかな。
これをどうにかしないと、
おそらく私はここから先、
ずっと妥協することができなくなる。
自分をだますこともできない。
存在するかもわからない100点満点のパートナーを求めて彷徨う、
そんなリビングデッドであり続けるのだ。
その先に望む未来があればいいけれど、
十中八九は八方塞がり、
たとえ許しがたい不誠実さが根っこにあって、
心から許すことができなかったとしても、
まずは枝葉を切り落とすところから始めないと、
いい加減に手放してあげないと、
誰も幸せにならないのだ。