「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

幸せになるためのスタート地点

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お金ってものは「保険」


世界中のすべての人たちが、

「その日暮らし」に夢中になって、

必要以上にお金を増やすことや、

将来に向けての貯蓄を止めたら、

幸せの総量は増えるのだろう。

 

少なくとも「今この瞬間」は、

多くの幸せを感じられるのかもしれない。

 

それを少しばかり蔑ろにして、

人は「将来の不安」にばかり思いを馳せるのだ。


「今日一日を笑って過ごせればいい」

「明日のことは明日考えればいい」

それでいいじゃない。


「不安」が「幸せ」を蝕むのだ。


将来のことばかり考えて、

見えない敵と闘って、

そうして疲弊してしまう。


「人間なんていつ死ぬかわからないんだよ」

『君の膵臓をたべたい』がそんなテーマだったな。


私は将来に備えすぎているのかな。

少なくとも「お金」の面ではそうなのだろう。

 

記事にしたばかりだけれども、

私は老後にばかりお金をかけている。


「その日暮らし」って、

今の私と対極にある言葉だ。


「満たされない」


何も「パートナーがいないから」じゃなくて、

「今を生きていない」から、

だから満たされないのかな。


もちろん後先考えずに、

果たすべき責任を果たさないで「その日暮らし」

それでは愛想尽かされてしまう。


だけれども、

「毎日が楽しくない」って、

それはそれで問題なんじゃないかな。


「老後のために生きているの?」

老後なんてないかもしれないのに、


「将来築くはずの家庭のために生きているの?」

結婚できるかどうかもわからないのに、


色々なものを掴み取ってきたから、

それを掴み取れないと、

自分を認めてあげられないのだ。


先に進む努力をしていないと、

自分を認めてあげられないのだ。


「何のために生きているの?」


誰かと比べて優越感に浸るために生きているの?

全ては自分を飾る装飾品で、

ステータスを得るために生きているの?


「制約を増やしてそれを守ることが努力」


そんな努力を続けていないと、

自分を認めてあげられないのならばさ。

 

掲げた理想なんて捨ててしまって、

ちゃんと幸せを感じられる日々を送るところから始めればいい。


スタート地点はそこなんじゃないかな。


どうやら私は私のことを、

信じてあげられていなかったみたいだ。


「生きるってことは、人と心を通わせるってこと」

『君の膵臓をたべたい』の中での印象的な一言、


私にはどうしても心を通わせたくない相手がいる。


「惨めさの象徴」

まずはそこから手を付けなければいけないのかな。


これをどうにかしないと、

おそらく私はここから先、

ずっと妥協することができなくなる。

 

自分をだますこともできない。

存在するかもわからない100点満点のパートナーを求めて彷徨う、

そんなリビングデッドであり続けるのだ。

 

その先に望む未来があればいいけれど、

十中八九は八方塞がり、

 

たとえ許しがたい不誠実さが根っこにあって、

心から許すことができなかったとしても、

まずは枝葉を切り落とすところから始めないと、

 

いい加減に手放してあげないと、

誰も幸せにならないのだ。