またもチャンスが巡ってきた。
もう何度目だろうか。
そのたびに嫌気がさしている自分がいる。
これは本質的な嫌悪なのか。
それとも「自信の無さ」からくるものなのか。
元同僚の20代年下女子、
ちょうど1年くらい前に2人で食事に行った。
運動神経は特によさそうではないけれど、
小柄でかわいらしい清野菜名さん似、
容姿に関して言えば十分「美人」と言える。
「相談に乗って欲しいんです」
急な連絡、
彼女とは色々あった。
ブログ初期に記事にしている。
そういうこともあるのだろうけれど、
どうにもやり取りが億劫だ。
相談に乗りながらも、
やり取りは途切れずに日をまたいで続くので、
どうやら誘って欲しいのだろう。
今の私の状況からすれば、
飛びついてもおかしくないのだけれども、
どうにも億劫だ。
食事に誘って、
次のデートにこぎつけて、
3度目くらいで告白して、
うまくいけば先に進んで、
デートを重ねて、
体を重ねて、
プロポーズして結婚して、
一緒に住んで、
完全な妄想だけれども、
そのプロセスのすべてが億劫だ。
もう傷つきすぎて疲れているのかな。
「体を重ねて」のところに対するモチベーション、
おそらくそれが男にとっては大きいのだろうけれど、
私は経験したことのないものだから、
劣等感の十分な材料にはなっても動機に足るものになりにくい。
だから「真実の愛」だなんて、
そんなものに「救い」を求めているけれど、
当事者としてそんなものにお目にかかったことはない。
もう詰んでいるのかな。
技量が足りなくてそれに気が付いていないだけ、
それとも藤井聡太七段ならば、
この局面を打開できるのだろうか。
「結婚したい」って、
「満たされたい」って、
そんな感情にばかり支配されているけれど、
私はどこに進みたいのだろう。
いつだってそう。
「奇跡的にうまくいかない」と思っていたけれど、
うまくいかなくしていたのは私自身なのだ。
何時だって過去に縛られて、
妥協できない努力中毒者、
「自分にとっての世界で一番素敵な女性」
そんな幻想を追い求めて、
もう二度と交わることはない過去の女性と比較し続けている。
それも思いっきり美化しているのだ。
そんな過去の「チート女子」と、
目の前にいる生身の女性を比較して、
天秤が「未来」に傾くはずがない。
まずは「過去」の重りを取り外さないといけないのかな。
それとも、
とりあえず「未来」に体を預けてみれば、
「恋の魔力」とやらにほだされて、
こんな私でも盲目になることができるのかな。
最近思うこと、
狭い世界に閉じこもっていても、
その世界に幸せが満ち溢れているならば、
外の世界なんて知る必要はないんじゃないかな。
「盲目になりたい」
4年前、私が今の私になってから、
世界のことを知ろうと躍起になりすぎている。
答えなんてないものにのめりこんで、
無為に時を費やすならば、
狭い世界の中で幸せに包まれて生きたい。
とてもそう思う。
随分前のベストセラー、
「自我へのこだわり」を信仰して、
情報をインプットするだけで「わかった気になる」
そんな理解の限界、共感への障害を「バカの壁」とした。
だけれども「バカの壁」
その壁の中で幸せに生きられるならば、
その壁を越える必要なんてあるのかな。
社会は大きくなりすぎて、
数多のコミュニティを生み出した。
「バカップル」チームがあってもいい。
「一生独身」チームがあってもいい。
「セクシャルマイノリティ」チームだってある。
それぞれが「バカの壁」の内側で営み、
その間を情報とお金だけが行きかうのだ。
「壁から出なくても生きていける」
そんな時代がそこまで来ているのかな。
どうやら女性との関係を築くことに向いていない私、
さて、私はどこのチームに属するのだろうか。
あまりにも他人事で困る。
私は誰の人生を生きているのだろう。