「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

男尊女卑依存症

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ある記事で目に付いた言葉、


「不倫や痴漢の動機」


その半数以上は、

性欲をコントロールできないのではなく、

支配欲からくるものとのこと、


「女のくせに」


女性の社会進出が顕著になり久しいが、

いまだにそういう風潮はある。


「女性は容姿で採用している」


公言はしていなくても何となくわかる。

社員からはそう揶揄されるような企業も少なくないだろう。


病理はやはり、

「人を道具として見ている」ということ、


私のブログにたびたび登場する。

もはやサブテーマになりそうなくらい書き続けている言葉、


目の前にいる人は、

自分と同じ生身の人間、

それは画面越しでも同じこと、


人がどんどん「記号」になっていく。


積みあがる数字にばかり心を奪われるから、

他人の心にまで考えが及ばなくなってしまうのだ。


私は基本的に女性を恐れている。

 

はっきり言って女性不信だ。

「若くてきれいな」という形容詞が付くのかもしれないけれど、


それでいてフェミニスト寄りの考えを持ち、

女性に心惹かれるヘテロ男、


どれだけこじらせたら気が済むのかというくらい、

もはやよくわからない立場だ。


「女性の持つ神秘性」


「清らかさ」とも言えるだろうか。

私はきっとそういうものを信じているのだろう。


だからいくら女性の不誠実さに傷つけられても、

どこかに「運命の人」がいることを信じている。


「男尊女卑依存症」

世間にそういうものが蔓延っていると憂慮する女性たち、


だけれどもその逆も辛いものがある。


「女性の神秘性」を信じるあまり、

いつまで経っても先に進めないのだ。


どこかで見たことがあるけれど、

アイドルオタクなんかの話では、

自分が「推し」と付き合うなんて恐れ多くて考えてもみない。


そういうものらしい。


私の「女性に対する神秘性信仰」は、

それに近いのかもしれない。


これはフェミニズムでも何でもないな。

女性を「理想」という額縁に閉じ込めて鑑賞したがる歪んだ愛着、

そういう意味では「男尊女卑依存症」と同類だ。


私は「女性」を、

「人」として見る前に「女性」として見ているのだ。

これもまた「若くてきれいな」という形容詞が付く。


結局は年齢や容姿で判断している。

一回りくらい年上の女性たちには躊躇なく親しげに話しかける。

だけれども若い女性にはそうはいかなくなってしまった。


「女性」として見る前に「人」として見る。


言葉にするのは簡単だけれども、

なかなかに難しい。


こういうのって、

本能みたいなもので、

いつまで経っても変わらないのかな。


「女性」の方だって、

使えるうちはそれを武器にしている節がある。


それが当たり前で誰も損をしていない。

それならば、

こんなことを考えること自体が無駄なのかな。


「女性」の生きづらさ、

それと同じように存在する「男性」の生きづらさ、

そういうものにも目を向けてほしい。


私は「本能」を「理性」でコントロールしようとしすぎているのかな。


自らの欲求に正直になること、

それも誠実さのカタチなのだ。

ノルウェイの森』を読み直す時期が来たか。