「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

私の「恋愛サイクル」と私の思う「運命」について

f:id:tureture30:20200711110106j:image

 

女性の恵まれた容姿に触れて、

「憧れ」が生まれることはある。

 

女性の恵まれた容姿に触れて、

「性欲」が芽生えることもある。


だけれども「好き」


少なくとも私の場合は、

「容姿」だけで「異性として好意を寄せる」ということはない。

少なくともこの年になった今では経験的にそう感じる。

 

何かきっかけがあるから「好意」に変わるのだ。


そして私はとことん慎重だ。

慎重すぎてチャンスを逃すことがデフォルトなくらいだ。


だから複数回、

しかも客観的に見て、

さらに客観的な意見を踏まえて、

相手からの「異性としての好意」


そう信じるに足る場合だけ次のフェーズに進む。


相手に対する自分の気持ちを確かめる。

そして固めるというフェーズだ。

 

そのフェーズ、

長期間に及ぶ吟味の末に、

ようやく行動に至る。

デートに誘ってみたりするのだ。


そのころには相手は冷めている。

既に別の相手がいたりもする。


そうして私の恋は終わる。

気持ちを冷ますのに時間がかかる。

次に踏み出せない。


去年の婚活は例外だったけれど、

概ねこれが私の恋愛サイクルだ。


どう考えても結果の出る仕組みではない。

非効率この上ないだろう。


だけれども、

私は私の気持ちを優先して、

このような手法しかとることができなかった。

その結果の今なのだ。


多くの場合、女性は現実的だから、

最適と思える相手と出会えるまで、

恋愛サイクルを素早く回して回数をこなすのだろう。


それが私のサイクルとかち合うことは非常に稀だ。

だから私の恋愛はうまくいかない。

俗にいう「恋愛向き」の思考ではないのだ。


「愛を無尽蔵なものだと勘違いしているんじゃないの?」


「恋愛をこじらせている男にはそういう傾向がある」

そう語るブロガーさんがいた。


「ごもっともでございます」


私にはそうとしか言いようがない。


だけどさ。

 

カタチは変われど、

「愛」って無尽蔵であるべきなんじゃないのかな。

少なくともはじめはそう信じて関係を始めるべき、


そう思える相手じゃない人と一緒になるのって、

ものすごいリスクなんじゃないのかな。


だから私は吟味する。

そして相手も私を吟味するような人がいい。


男なんてちょろいから、

ちょいとモーションかければ引っかかるのだ。

だけれども私に対しては、

もうそういうのはいらない。


私は「覚悟」をもってアプローチするからさ。

「覚悟」がないならば私にアプローチしてこないでよ。


なんだかとてもそう思う。

 

f:id:tureture30:20200711111045j:image


あれだけ何度もアプローチしてきてさ。

靡かないと思ったら手の届く別の男に乗り換える。


そうやって条件良さそうなところにはさ。

何処でもとりあえずアプローチしてさ。

引っかかったところで手打ち、


そういうのは止めてよ。


100人に一人だっていいからさ。

ものすごく長いサイクルが見事にかち合って、

お互いが吟味したうえで一緒になれる人っていないのかな。


そもそも今現在、

私に対してそういうサイクルを回していて、

「吟味」のフェーズで気持ちを温めている人はいるのかな。


どれだけ慎重に吟味を重ねて一緒になったところで、

その末のことは誰も保証してくれないけれど、

そういう「吟味」を経て一緒になったのならば、

ちょっとやそっとの困難では別れないんじゃないのかな。


遺伝子レベルで惹かれあう、

そんな根拠で「一目ぼれ」ってものに、

強く憧れた時期もあったけれど、

それでは博打が過ぎる。


結局は相手にかけた時間、

人はそういうものを拠り所にする。


「それならばとりあえず付き合ってみればいいじゃん」


それは否定できないけれど、

どうやら私には「交際」のハードルが高いようだ。


去年はあれだけチャンスがあって、

「とりあえず付き合う」に至らなかったのだから、


それも私の恋愛サイクル、

そこも含めてかち合う相手、


そういう出会いを「運命」って、

私はそう思っている。


きっと私のサイクルにかち合う相手なんて、

ほとんど存在しないだろう。


そうこうしているうちに、

誰とも巡り合うことなく、

エンディングを迎えるのかもしれない。


それはそれで私の人生だ。


恋愛にばかり振り回されても仕方がないし、

必要以上に出会いを求めても仕方がない。


何に殉じるか。

何を手に入れて、

何を諦めるのか。


それだけは自分で決めないといけない。