女性の恵まれた容姿に触れて、
「憧れ」が生まれることはある。
女性の恵まれた容姿に触れて、
「性欲」が芽生えることもある。
だけれども「好き」
少なくとも私の場合は、
「容姿」だけで「異性として好意を寄せる」ということはない。
少なくともこの年になった今では経験的にそう感じる。
何かきっかけがあるから「好意」に変わるのだ。
そして私はとことん慎重だ。
慎重すぎてチャンスを逃すことがデフォルトなくらいだ。
だから複数回、
しかも客観的に見て、
さらに客観的な意見を踏まえて、
相手からの「異性としての好意」
そう信じるに足る場合だけ次のフェーズに進む。
相手に対する自分の気持ちを確かめる。
そして固めるというフェーズだ。
そのフェーズ、
長期間に及ぶ吟味の末に、
ようやく行動に至る。
デートに誘ってみたりするのだ。
そのころには相手は冷めている。
既に別の相手がいたりもする。
そうして私の恋は終わる。
気持ちを冷ますのに時間がかかる。
次に踏み出せない。
去年の婚活は例外だったけれど、
概ねこれが私の恋愛サイクルだ。
どう考えても結果の出る仕組みではない。
非効率この上ないだろう。
だけれども、
私は私の気持ちを優先して、
このような手法しかとることができなかった。
その結果の今なのだ。
多くの場合、女性は現実的だから、
最適と思える相手と出会えるまで、
恋愛サイクルを素早く回して回数をこなすのだろう。
それが私のサイクルとかち合うことは非常に稀だ。
だから私の恋愛はうまくいかない。
俗にいう「恋愛向き」の思考ではないのだ。
「愛を無尽蔵なものだと勘違いしているんじゃないの?」
「恋愛をこじらせている男にはそういう傾向がある」
そう語るブロガーさんがいた。
「ごもっともでございます」
私にはそうとしか言いようがない。
だけどさ。
カタチは変われど、
「愛」って無尽蔵であるべきなんじゃないのかな。
少なくともはじめはそう信じて関係を始めるべき、
そう思える相手じゃない人と一緒になるのって、
ものすごいリスクなんじゃないのかな。
だから私は吟味する。
そして相手も私を吟味するような人がいい。
男なんてちょろいから、
ちょいとモーションかければ引っかかるのだ。
だけれども私に対しては、
もうそういうのはいらない。
私は「覚悟」をもってアプローチするからさ。
「覚悟」がないならば私にアプローチしてこないでよ。
なんだかとてもそう思う。
あれだけ何度もアプローチしてきてさ。
靡かないと思ったら手の届く別の男に乗り換える。
そうやって条件良さそうなところにはさ。
何処でもとりあえずアプローチしてさ。
引っかかったところで手打ち、
そういうのは止めてよ。
100人に一人だっていいからさ。
ものすごく長いサイクルが見事にかち合って、
お互いが吟味したうえで一緒になれる人っていないのかな。
そもそも今現在、
私に対してそういうサイクルを回していて、
「吟味」のフェーズで気持ちを温めている人はいるのかな。
どれだけ慎重に吟味を重ねて一緒になったところで、
その末のことは誰も保証してくれないけれど、
そういう「吟味」を経て一緒になったのならば、
ちょっとやそっとの困難では別れないんじゃないのかな。
遺伝子レベルで惹かれあう、
そんな根拠で「一目ぼれ」ってものに、
強く憧れた時期もあったけれど、
それでは博打が過ぎる。
結局は相手にかけた時間、
人はそういうものを拠り所にする。
「それならばとりあえず付き合ってみればいいじゃん」
それは否定できないけれど、
どうやら私には「交際」のハードルが高いようだ。
去年はあれだけチャンスがあって、
「とりあえず付き合う」に至らなかったのだから、
それも私の恋愛サイクル、
そこも含めてかち合う相手、
そういう出会いを「運命」って、
私はそう思っている。
きっと私のサイクルにかち合う相手なんて、
ほとんど存在しないだろう。
そうこうしているうちに、
誰とも巡り合うことなく、
エンディングを迎えるのかもしれない。
それはそれで私の人生だ。
恋愛にばかり振り回されても仕方がないし、
必要以上に出会いを求めても仕方がない。
何に殉じるか。
何を手に入れて、
何を諦めるのか。
それだけは自分で決めないといけない。