「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「自分の遺伝子を残すこと」が社会のためになるとは思わない

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随分前の話だ。


躁うつ病」を患う友人に言われた言葉、

究極の自己否定の言葉だ。


彼とはここ何年も接点がない。

どこに住んでいるのかもわからない。


繋がるかどうかもわからない連絡先だけは、

おそらくアドレス帳に残っている。


今ではそんな関係だ。


彼は「結婚」に対する憧れはあったけれど、

「子供をもつ」ことについてはとことん否定的だった。


詳しくは書かないけれども、

家庭環境に影響を受けているようだ。


とても上昇志向で努力家だった。


夢があり、

それに人生の大半を懸けていた。

だけれども結果が出ずにその道を諦めた。


「自分の周りにはすごいやつだけを置いておきたい」


おかしくなり始めた頃に、

彼が言っていた言葉、


周りの不手際を必要以上に責めるようになった。

「意識高い系」てやつかもしれない。

そうして周りは離れていく。


私に対しても一度そういうことがあった。


今ではだいぶ丸くなったけれども、

もともと私は「売られた喧嘩は買うタイプ」


責められた行為にある背景や価値観を事細かに説明して、

彼の態度を改めるように諭すと、

どうやら相当に堪えた様子、


確かその日のうちに「会わせる顔がない」と連絡が来て、

そこから音信不通になった。


それから年単位で時間を空けて、

何度か会って話したりもしたけれど、


「互いの道が交わることはない」


そんなニュアンスのことを言われて、

それを機にまたしばらく会っていない。


こういう考え方は傲慢かもしれないけれど、

たまに会うようになってからは、

彼の中での私の存在感は肥大化していたようだ。


とても狭い世界で生きていたのだろう。

私に話したいことをノートに書き留めて準備していたこともあった。


「私はカウンセラーか」


そう思って彼の話を聞いていた。


今思えば不誠実だった。

友情よりも経験を積むために会っていたのかもしれない。


世界が狭くなりすぎると、

どうしたってネガティブにならざるを得ないのだ。


ネガティブをこじらせすぎると、

どんどん「自己否定」に夢中になる。


「自分の遺伝子を残すこと」が社会のためになるとは思わない。


彼の言葉、


ここでは「社会」を「世界」と言い換えるけれど、

真面目な人ほど「世界」が正しくて「自分」が間違っている。

そう思い込みがちなのだ。


そんなことはないのにね。


「世界」に触れれば触れるほど、

「世界」なんて大して正しくもない「いい加減なもの」だって、

そういうことに気が付くのにね。


「自分の人生を愛すること」


それさえできれば、

少なくとも「この世界の片隅に

自分で自分の「居場所」を確保してあげることができる。


「自己否定」をこじらせてしまうような「いい人」

私に言わせれば「どれだけ『いい人』なんだ」と思うよ。


その「いい人」が、

「この世界に居ちゃいけない」だなんて、

世界はまだそれほど狂っちゃいない。


彼はとにかく「舐められたくなかった」のだろう。


人生懸けて進んだ道、

その先で報われなかったから、


肥大化した劣等感、

ルサンチマン」ってやつだ。


人の非を責めることで、

自分の存在価値を見出そうとする。


そうやって人から認めてほしいのに人は遠ざかる。

何とも皮肉なことだ。


今、彼がどうしているのかはわからない。


もしかしたら、

結婚して子供がいるのかもしれない。


ともあれ、

よろしくやっているといいけれど、


「いい人」ほど苦しむのだ。

「いい人」であるがゆえに、


何とも皮肉な世の中だ。