人がやりたがらないけれども、
自分は好きな(苦にならない)こと、
ビジネスモデルとして切り込んでいくならばそこだ。
そんな記事を読んだ。
なるほど、需要と供給の問題、
それって「恋愛」でもそうなのかな。
私は「たくましい」女性が好きだ。
「たくましい」というか、
「群れない」女性というべきか。
女が3人以上集まるとロクなことはない。
経験上そう思っている。
前に一度書いたかもしれないけれど、
高校生の時に気になっていた女の子、
「好き」とは思わなかったけれど、
気が付くと目で追っていた。
クラスではいつも一人だった。
だけれども部活の仲間とは仲が良くて、
自分の世界を持っていた。
口調から察するに、
だいぶ気が強いほうだ。
「群れない」
そして私の視線に気が付くと、
キッと睨み返してくる。
私は目を逸らす。
「これって恋じゃないの?」
そんなやり取りだったけれども、
今振り返ってみても「恋」ではなかった気がする。
「人として気になっていた」
年頃の女子ってみんな「自分が無い」
いや、それは偏見で、
「無いようで有る」のかもしれない。
だけれども、
同調圧力に身を委ねることが生きるための術、
思ってもいないことに「わかる〜」って、
それが「居場所」を確保するための術なのだ。
そんな年頃女子の中で、
彼女は自分の世界を持っているように見えた。
だから気になる存在だった。
『君の膵臓をたべたい』
あそこまで関係は進んでいないけれど、
あれに近い感じだろうか。
「一目置く存在」と言ったところか。
「群れない」女性が気になる。
今もその傾向は変わらない気がする。
何度か記事に登場しているけれど、
一緒に仕事をして「自分と同じ人種だな」って思った10個年下の子、
彼女も「群れない」タイプだ。
「群れない女性」
パーソナリティが肥大化する時代、
最近は増えているのかもしれないけれど、
「女性」としてはまだまだ少数派だろう。
そしてそういう女性は、
あまり男の目にはつかないように思う。
容姿が良ければ別かもしれないけれども、
気持ちを表に出すことが下手で、
だけれども実は思いやりがあって、
必要以上に人と関わらないけれども、
関わった人には誠実で、
意にそぐわなければキッパリと「No」を言える。
そして「私ってサバサバ系じゃないですかー」
いやそれは違う。
自分にラベルを貼りたいだけだ。
そういう自己主張をしない人、
そういう女性がいいのだ。
だけれども理想を挙げてみると、
これって需要がありそうだな。
ニッチなところに活路を見出すつもりが、
どうやらそうもいかないようだ。
気が強くて「触れたらケガしそうな女性」
「きれいな薔薇には棘がある」っていうけれど、
そういうのは私は苦にならない。
筋が通っていて、
その振る舞いの根底に「誠実さ」があるならば、
気の強いくらいがちょうどいい。
男なんて普段は尻に敷かれていて、
イザという時にだけ役に立てばいい。
私の変なところ、
食事に行って、
何を食べても「おいしい」っていう人より、
「これはおいしいけれど、これはイマイチだった」
みたいなことを平気で言いだすほうが「おっ」って思う。
もちろん店員さんの前で言い出したら引くけれど、
だから少しくらい自意識過剰で、
私の知的好奇心を刺激してくれる人、
そういう人がいいのかもしれない。
きっと私は「課題」が欲しいのだ。
だから適度にヒヤヒヤさせてくれる。
そういう相手を求めているのかもしれない。
そう考えると少しはニッチになってきたか。
私は紛れもなく「こじらせ男」だ。
だから「こじらせている女性」と合うのだろう。
あとは「こじらせている部分」に、
少しくらいは共通点があればいいのだけれども、