「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

改めて浮き彫りになる「私の課題」

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昨日の記事は私にとって大きな転機としたい。

そう思っている。

 

tureture30.hatenadiary.jp

 

「不誠実さ」を許せない。

一周まわって結局同じところにたどり着いたか。


「自分の人生を愛すること」


その中には浅ましさや狡猾さ、

そういったものも含まれている。


それを含めて愛してやらないと、

「自分の人生を愛すること」は到底できない。


カラマーゾフ万歳」


自分自身の動物的本能、

 

昨日の記事にある通り、

私はそういうものを嫌悪している。


「誠実さ」という看板を背負って、

理性で欲望を抑えることが「生きがい」みたいになっている。


人に強要しているつもりはないけれど、

どこかでそうではないものを許容できないのだろう。


「許せない」


そういう感情を手放すことができない。

自分にだって狡猾で浅ましい部分があるのにね。

それを「嫌悪」し続けているのだ。


自分は「誠実」であり続ける。

だけれども人の「不誠実」に寛容になる。


なんだか聖人でも目指しているのかな。

なんとも人間味のない目標だ。


私は「誠実」にこだわるあまり、

かえって不幸になっているのかもしれないな。


「誠実さ」が人を傷つけることもあるし、

欲望を満たし合うことが、

Win Winの関係になることだってある。


「憎しみ」を手放すためには、

「自己の醜さ」に寛容になることが必要なのかな。


「今の私」になる「前の私」は、

そこら辺の要領は良かったはず、

もっと上手くやっていたのだ。


だけれども、

一度メンタルをやってしまってから、

自尊感情が著しく低下して、

「自分を認めてあげること」が下手くそになった。

 

加えて女性たちからの数々の不誠実さ、

それに直面して、

男としての自尊心は崩れ落ちた。


だから「誠実であること」に価値を見出して、

それを己に課した。


その先の今なのだ。


そろそろ手放してもいいんじゃないかな。

「誠実」に繋がると思うことは色々とやったし、

「不誠実」に繋がると思うことは敢えてやらなかった。


もちろん完璧というわけではない。


だけれども「誠実」であろうと務めてきた。

それが「呪い」になってしまったのかな。


「自分の人生を愛すること」

 

一周回って、
私にはそれができていないのだ。

 

「こうでなければいけない」

 

そういうことばかり主張して、

そこに自分の価値を委ねる。

そんな私があまり好きではない人種、

 

だけれども同族嫌悪だったのかな。

私がそれに陥っていたのだ。

 

もっと楽しいことばかり考えて、

もう少し欲望にまみれて、

人間らしく生きればいい。

 

これでは何を目指しているのか分からなくなる。

 

欲望を遠ざけようとすればするほど、

浮世まで遠ざかってしまうのだ。

 

聖人君子を目指しているわけではない。

私は人間らしくありたい。

 

自分の醜さを認めてあげる。

それが不誠実さへの寛容に繋がるのだ。