「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「神経症的傾向」の強い人たちへ

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細かいことを気にしたり、

細かいことに気が付いたり、

「神経過敏」な傾向の強い人、


おそらく「今の私」はこれに当てはまる。

そして父と母もこの傾向があるように思う。


だけれども「前の私」

割といろいろなことに無頓着だった。


「大抵のことは何とかなる」

そんな根拠のない自信が生き方の根底にあったように思う。


性質が変わってしまったのだ。


「不安」や「痛み」


それは自己防衛本能だ。

大切な役割を果たしている。


だけれども、

その「自己防衛本能」を遠ざける癖がついて、

知らずのうちに体が限界を超えてしまったときに、

一気に爆発してしまう。


「不安の暴走」


偏桃体からのアラートは常に鳴りやまない。

そういう時期を経験をした。


一度壊れてしまった自律神経は元には戻らない。

これから先は「今の私」で生きていくしかないのだ。


もしかしたら「未来の私」

そういうものもあるのかもしれない。


「世界の見え方が一変してしまうような経験」


もう一度くらいは、

そういうことがあるような予感もする。


神経症的傾向」


今ではだいぶ飼い慣らせるようになった。

生きていれば色々あるのだ。


のび太だった「前の私」

まだ眠れない夜はある。


ジャイアンだった「前の私」

だいぶ臆病になってしまった。


そしてスネ夫でもあった「前の私」

見栄やプライドはいくらか捨てられた気がする。


こうした変化、


私の場合は明確な出来事があったけれど、

そういうことがなかったとしても、

人って少しずつ時間をかけて、

気がつかないうちに変わっているんじゃないのかな。


変化を敏感に感じ取ってしまう。

気が付きたくもないことに気が付いてしまう。


人の「好意」や「嫌悪」

 

裸のままでそう言うものに晒されて、

必要以上に傷ついてしまう。


「鈍感になりたい」


そう思えば思うほどに、

「敏感」になってしまう。

 

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「気が付いても受け止めない」

 

土台無理な話だ。

優しいあなただから、

そうやって割り切ることができない。


その気持ちはさ。

痛いほどわかるよ。


人の不誠実さや無神経さ。

そういうものに心がささくれ立ってしまう。


傷つく必要なんてないことに傷ついて、

誰かを大して傷つけていないのに気に病んで、

周りの態度に右往左往してしまう。


「自分」になるしかないんじゃないかな。

「自分の人生を愛する」


周りは関係ない。

そういう軸を持つことができるかどうか。

結局はそういうことなんじゃないかな。


「脅威」を感じるから「ストレス」になる。

それならば「脅威」に格上げしてやらなければいい。


捉え方ひとつだ。

格上げするのも格下げするのも自分自身なのだ。


大抵の悩みは杞憂、

人生なんてどうでもいいことばかりだ。


そのどうでもいいこと達に、

いかに夢中になって生きるか。

そこに人生の醍醐味があるんじゃないかな。


どうでもいいことが少なくなりすぎて、

深刻なことばかりが増えているならば、

どこかで基準を変えてやらなければならない。


深刻なことばかりにさ。

そればかりに夢中になっていたらさ。

楽しいことを見逃してしまうよ。


世界には楽しいことがたくさんある。


苦しみを引き受けることばかりを美徳にして、

「それが自分の人生」だなんてさ。

なんだか損をしている気にならないかな?


この国の社会保障は手厚い。

身体的に問題がなければ生きていけるのだ。


向き合うことが大事なことはあるし、

向き合うことが大事な時期もある。


だけれども、

向き合うことが趣味になってしまったら、

それなしでは生きてはいけなくなる。


「世界の正体」よりも、

「目の前の幸せ」

そっちの用がよほど価値のあることなんじゃないかな。


「自分らしさの確立」


それ以上に重要なテーゼなんて、

人生に存在するのだろうか。


「真理」は人に何か与えるどころか、

人から何かを奪うばかりだ。