「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「生」よりも「死」に近い立ち位置

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多くの人はきっと、

自分の「死」だなんて「遠い先の未来」

そう思って生きているのだろう。


私もそうだった。


だけれども、

「世界の見え方」が変わってしまったのだ。


精神的に死にかけて、

身体的にも死にかけて、

「死」というものを身近に感じるようになった。


「いつ死んでもおかしくないな」

漠然とそう思いながら生きている。


今日、明日ではないけれど、

1年後だったり、3年後だったり、


少し先の未来に思いを馳せると、

「自分はそこまで生きているのかな」

そういう考えが頭に浮かぶ。


私の人生がこの先どれだけ続くのか、

それはわからないけれど、

精神的にはもう晩年なのかな。


まだ手足は動く。

「人生に対する期待」を捨ててはいない。


先日会った友人、

どうやら二人目を生むために夫婦で不妊治療をしているらしい。

その最中で自分の親に病気が見つかり、

プレッシャーと相まって奥さんは少しメンタルを崩しているようだ。


夫婦の統一見解として、

とても前向きに努力をしているみたいだけれども、

私の第一声は「無理しなくていいんじゃないの?」だった。


前の私だったらきっと「応援している」って、

伝え方はともかくとしても、

そのようなスタンスだっただろう。


臆病になってしまったのかな。


「手に入れる」ことよりも、

「手放す」こと、


今の私の「天秤」は、

基本的にそちらに傾いているようだ。


だから何か「重り」を乗せてやらないと、

「手に入れる」には傾かないのだ。


「1グラム」そして「1グラム」と、

徐々に必要な「重り」

その重さは増していく。


そして「天秤」自体がさび付いて、

ビクともしなくなった時に、

人は「死」に向けて歩みを進めるのだろうか。


30代独身にして、

既にデフォルトが「手放す」の私、

そんなに手放すものなんてありはしないのに、


このままだと、

すぐに手持ちは底をついてしまう。


そうならないように、

たくさんの「重り」を準備しないといけないのかな。


「動機」ってやつ、


「重り」は別の言い方をすれば、

「動機」ってやつだ。


「生きる」ための「動機」

「生きる」ってことは本能的なこと、


本来であれば、

そこに「動機」は必要ないのだろうけれど、

私はそこに「動機」を求めているのかな。


人が自ら命を絶つ時ってさ。

「死ぬ」ための「動機」があるからではなくて、

「生きる」ための「動機」がなくなるからなのかもしれない。


「絶望」とはよく言ったものだ。


私には「死ぬつもり」はない。

だけれども「生きるつもり」があるのかはわからない。


そうだ。

肉でも食べて酒でも飲もう。


そして大好きな「おっぱい」のことでも考えていればいい。

男は生まれてから死ぬまで、

「おっぱい」のことばかりを考えているのだ。


それだけは、

「生」に近かろうが「死」に近かろうが変わらない。

きっと不変の真理だ。


昨日の記事は何だったのか。

ジェンダー」を都合よく扱っているのは私だな。